ジェイソン・マーキー
ジェイソン・スコット・マーキー(Jason Scott Marquis, [mɑːrˈkiː]; 1978年8月21日 - )は、アメリカ合衆国・ニューヨーク州マナセット出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 苗字のスペルは「Marquis」で、「s」が入っているが、基本的には発音せずに、マーキー及びマーキィと読む。しかし、資料によってはマーキースと、表記されている場合もある。 経歴ブレーブス時代1996年のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから1巡目(全体35位)で指名され入団。 2000年にメジャーデビューを果たし、15試合に登板した。 2001年は、ブレーブスの先発ローテーションに入って、3.00台の防御率で、5勝(6敗)を記録した。 2002年は、前年に引き続き、ローテーション投手として登板するが、肩に痛みが出て制球難に陥った[1]。同年に挙げた勝利は8勝(9敗)で、またもや2ケタ勝利には手が届かなかった。 2003年は、ローテーションを外れてリリーフでの登板が中心になった。しかし、制球難は解消されず自己ワーストの防御率5.53を記録してしまった。 カージナルス時代2003年12月14日に、J・D・ドリューおよびイーライ・マレーロとのトレードで、レイ・キングおよびアダム・ウェインライトと共にセントルイス・カージナルスに移籍。 2004年は、カージナルスで先発ローテーションに入り、自己ベストの15勝を挙げた。 2005年も、ローテーションの一角として登板し、13勝(14敗)を挙げるが、前年と比べ、やや不安定な成績になったが、打撃では打率.310を記録し、シルバースラッガー賞を受賞した。 2006年は14勝を挙げたものの、防御率6.02、リーグワーストの16敗と35本の被本塁打を記録。ポストシーズンでは、ディビジョンシリーズでは救援投手としてロースター入りしたが、登板機会はなく、リーグチャンピオンシップシリーズからロースターから外され[2]、チームは10度目の世界一となった。10月31日にFAとなった。 カブス時代2006年12月19日に3年総額2,100万ドルでシカゴ・カブスと契約[3]。 ロッキーズ時代2009年1月6日にルイス・ビスカイーノとのトレードでコロラド・ロッキーズに移籍。オールスター開催までに球団タイ記録(ショーン・チャコーン(2003年)、アーロン・クック(2008年))となる11勝を挙げ[4]、オールスターに初めて選出された。最終的に15勝・防御率4.04と2004年以来の好成績を残した。11月5日にFAとなった。 ロッキーズ退団後2009年12月22日にワシントン・ナショナルズと2年総額1,500万ドルで契約に合意[5]。 2010年は開幕から3試合続けて乱調した後、肘の遊離軟骨に異常が見つかり骨片除去手術を受ける。8月に復帰後は10先発で2勝6敗、防御率4.29、WHIP1.51の投球を見せた。 2011年7月30日にザック・ウォルターズとのトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍。12月22日、ミネソタ・ツインズと1年契約総額300万ドルで合意した[6]。 2012年5月にDFAとなり[7]、マイナーに降格。26日には放出された。 パドレス時代2012年5月29日にサンディエゴ・パドレスと契約。10月29日にFAとなったが、12月3日に再契約した。 2013年10月31日にFAとなった。 パドレス退団後2014年6月3日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結ぶ。8月31日に自由契約となる。 2015年1月21日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結ぶ。4月5日にメジャー契約を結び25人枠入りするが、9試合の先発で3勝4敗、防御率6.46の成績を喫し、6月5日にDFA、6月10日にFAとなる。 2016年は無所属のままで、9月には2017 ワールド・ベースボール・クラシック 予選4組にユダヤ系アメリカ人であることからイスラエル代表として出場した。 2017年はワールド・ベースボール・クラシック本大会に出場し、1次ラウンドでは初戦の韓国戦と3戦目のオランダ戦の2試合、2次ラウンドではキューバ戦の1試合に先発登板した。 その後はどのチームにも所属していない。 詳細情報年度別投手成績
表彰
脚注
関連項目外部リンク |