アイク・デービス
アイザック・ベンジャミン・デービス(Isaac Benjamin Davis, 1987年3月22日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州ヘネピン郡イーダイナ出身の元プロ野球選手(一塁手、投手)。左投左打。 ユダヤ系アメリカ人である。父はかつてミネソタ・ツインズやヤクルトスワローズなどに所属した元プロ野球選手のロン・デービス。 経歴プロ入りとメッツ時代2008年のMLBドラフト1巡目(全体18位)でニューヨーク・メッツから指名され、契約金157万5千ドルで契約し、背番号は父のロンが現役時代に付けていた39を選択[1]。 2009年は、A+級セントルーシー・メッツとAA級ビンガムトン・メッツで計114試合の出場で、打率.298・20本塁打・71打点を記録し、メッツ傘下の最優秀マイナー選手に選出された[2]。また、9月に第38回IBAFワールドカップのアメリカ合衆国代表に選出された。同大会では金メダルを獲得[2]。 2010年は開幕をAAA級バッファロー・バイソンズで迎えた。10試合で打率.364を記録すると、4月19日にメジャー昇格[3]。4月23日のアトランタ・ブレーブス戦にて川上憲伸からメジャー初本塁打を記録した。シーズン全体では、147試合に出場し、1年目から規定打席に到達。打率.264・19本塁打・71打点という打撃成績を記録した。 2011年は一塁手のレギュラーとして25人枠に入る。好調な滑り出しをみせたが、左足首を負傷、結局36試合にしか出場できなかった。最終的な成績は打率.302、HR7本、OPSは.925。 2012年は打率こそ.227と低迷したが、32本塁打・90打点と長打力の面では大きく飛躍した。 2014年は、開幕戦をスタメンで迎えた。その後、ルーカス・ドゥーダの台頭があり、控えとなった。4月5日のシンシナティ・レッズ戦で、代打で満塁本塁打を記録した[4]。 パイレーツ時代2014年4月18日にトレードで、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[5]。4月21日のレッズ戦で満塁本塁打を記録し、MLB史上3人目の他チームで同一チームから満塁本塁打を記録した選手となった。また、4月に2本の満塁本塁打を記録したMLB史上初めての選手となった。しかし、チームには他にもギャビー・サンチェスやアンドリュー・ランボーが一塁手としてプレーしていたため、彼らと併用された。オフの11月20日にDFAとなった[6]。 アスレチックス時代2014年11月23日にトレードで、オークランド・アスレチックスへ移籍した[7]。 2015年4月21日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦では、投手として登板した[8]。5月18日に故障者リスト入りした[9]。8月16日のボルチモア・オリオールズ戦では再度、投手として投げ1.0イニングを1安打1四球1奪三振・無失点で切り抜けた[10]。この年は一塁手の控えとして74試合に出場。打率.229・17二塁打・3本塁打・20打点だった。守備では65試合で一塁守備に就き、4失策・守備率.993・DRS - 1という成績に終わった。オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[11]。 レンジャーズ傘下時代2016年2月15日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[12]。開幕はAAA級ラウンドロック・エクスプレスで迎え、39試合に出場して打率.268・4本塁打・25打点の成績を残した。6月12日に自ら選んで契約を途中で放棄するオプトアウトを行使した[13]。 ヤンキース時代2016年6月12日、オプトアウトを行使した同日中にニューヨーク・ヤンキースとメジャー契約を結び、25人枠入りした[14]。6月25日にDFAとなり、27日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースへ配属された。8月10日に自由契約となった[15]。8月26日に第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)予選のイスラエル代表に選出された[16]。 ドジャース傘下時代2017年1月27日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[17]。開幕前の2月8日に第4回WBC本戦のイスラエル代表に選出された[18]。シーズンでは不振で大学以来となる投手に転向し、8月6日にルーキー級で初登板をした[19]。オフにFAとなった。 詳細情報年度別打撃成績
年度別投手成績
背番号
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
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