ストーミングホーム
ストーミングホーム (Storming Home) とは、イギリス生まれの競走馬、種牡馬。2002年ジャパンカップに出走し、日本でチークピーシズが普及するきっかけを作った。種牡馬として一時期日本でも活動した。 経歴競走馬時代2000年(2歳)、7月のデビュー戦は9着だったが、2戦目で初勝利を挙げた。重賞初挑戦となったソラリオステークス (G3) では2着となったが、タタソールステークス (G3) は9着だった。 2001年(3歳)、4月に2勝目を挙げ(ブルーリバンドトライアルステークス)、ダンテステークス (G2) 3着となって挑んだダービーステークスは、ガリレオ (Galileo) らに敗れ7着だった。続くキングエドワード7世ステークス (G2) を制し、重賞初勝利を挙げたが、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでは、再びガリレオに敗れ4着だった。その後はグレートヴォルティジュールステークス (G2) で2着、ニエル賞 (G2) で7着となった。 2002年(4歳)、ジョッキークラブステークス (G2) で3着、コロネーションカップ (G1) で2着、ハードウィックステークス (G2) で2着と惜しいレースが続き、2年連続で出走したキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでは6着だった。その後2戦して1勝し、チャンピオンステークス (G1) でムーンバラッドら相手にG1初勝利を挙げる。そして日本に初来日を果たし、中央競馬初出走となったジャパンカップでは15着という結果に終わった。 2003年(5歳)、アメリカのニール・ドライスデール (Neil D. Drysdale) 厩舎へ転厩し、移籍2戦目のチャールズウィッティンガムメモリアルハンデキャップ (G1) を制した。続くアーリントンミリオンは1着で入線したが、降着で4着だった。続くクレメント・L・ハーシュメモリアルターフカップステークス (G1) を制したが、ブリーダーズカップターフで7着となり、このレースを最後に競走馬を引退することになった。 種牡馬時代2004年(6歳)、シャドウェルスタッドで種牡馬入り。初年度種付料は1万ポンド。海外時代の産駒は2頭がG1を勝っている。 2006年(8歳)、ナナリースタッドに繋養先が移動。 2007年(9歳)、初年度産駒デビュー。日本に輸入され、ダーレージャパンスタリオンコンプレックスで繋養される。翌年より日本で供用が開始され、初年度の種付料は250万円。 2011年(13歳)、日本での初年度産駒がデビュー。 2015年(17歳)、イーストスタッドに繋養先が移動[1]。2014年末時点での産駒成績は、中央重賞勝ち馬はおらず、地方重賞勝ち馬を2頭出すにとどまった。 2017年(19歳)、この年の種付けシーズン終了後にクラックステーブルに移動[1] 2020年(22歳)、用途変更となる[2]。その後の行方は不明。 代表産駒
エピソード
血統表
脚注
外部リンク
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