スティーブ・ロンバルディ
スティーブ・ロンバルディ(Steve Kenneth Lombardi、1961年4月18日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。 ニューヨーク州ブルックリン出身のイタリア系アメリカ人[2]。 ブルックリン・ブロウラー(The Brooklyn Brawler)のリングネームで知られ、WWEにおいて長くジョバーを担当[3]。セミリタイア後はWWEのバックステージで活動していた[4]。 来歴1983年のデビュー後、太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト・レスリングを経て、同年下期より本名のスティーブ・ロンバルディ(Steve Lombardi)名義でWWFにてジョバーを担当[5]。翌1984年より、WWFがビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下で全米侵攻サーキットを開始してからも、サージェント・スローター、ポール・オーンドーフ、マスクド・スーパースター、デビッド・シュルツ、ビッグ・ジョン・スタッド、アイアン・シーク、ジェシー・ベンチュラ、カウボーイ・ボブ・オートン、パット・パターソン、ダイナマイト・キッド、ロッキー・ジョンソン、マイク・ロトンド、ティト・サンタナ、マッドドッグ・バションなど、トップ選手のジョバーを務めた[6][7]。 以降もWWFに定着し、アイアン・マイク・シャープ、ブライアン・ブレアー、S・D・ジョーンズ、ジョージ・ウェルズ、ヒルビリー・ジム、カズン・ルーク、ポール・ローマ、デビッド・サンマルチノ、スコット・マギー、ブリックハウス・ブラウン、ニック・キニスキー、ラニー・ポッフォ、サム・ヒューストン、スコット・ケーシーといったアンダーカードの中堅選手や若手選手にも白星を献上したが、1989年よりブルックリンのストリート・ファイターをギミックとしたヒール、ブルックリン・ブロウラー(The Brooklyn Brawler)に変身[3]。ボロボロのジーンズとニューヨーク・ヤンキースのTシャツをリングコスチュームに、ボビー・ヒーナンをマネージャーに迎えてレッド・ルースターと抗争した[8]。 ギミックを与えられポジションは上昇したものの、その後も役回りは変わらず、アルティメット・ウォリアー、ジェイク・ロバーツ、ジム・ドゥガン、デイビーボーイ・スミス、ケリー・フォン・エリック、リッキー・スティムボート、ジミー・スヌーカ、ビッグ・ボスマンなど、ベビーフェイスのスーパースターのジョバーを担当[9][10]。1990年12月には当時のWWFの日本での提携先だったSWSに初来日し、ザ・グレート・カブキ、サムソン冬木、石川敬士らと対戦[11]。翌1991年8月の再来日ではリック・マーテルのパートナーとなり、谷津嘉章&キング・ハクやジョージ高野&高野俊二とのタッグマッチが組まれた[12]。 1992年から1993年にかけては、怪奇派レスラーのカマラを調教するハンドラー、キム・チー(Kim Chee)としても活動。サファリ・ルックに覆面を被り、マネージャーのハービー・ウィップルマンと共にカマラのセコンドを務めた(カマラのハンドラーは各団体で複数の人物が覆面を被って扮していたが、1980年代にカマラがWWFに参戦した際に登場したキム・チーもロンバルディの変身とされる)[13]。カマラのフェイスターン後は両者の連戦が行われ、キム・チーのギミックではボブ・バックランドとも度々対戦した[14][15]。1993年下期からは、薬物問題でWWFを解雇されたマット・ボーンに代わってドインク・ザ・クラウン(Doink the Clown)にも扮した[13][16]。 1994年には、当時のメジャーリーグ・ベースボールのストライキにあやかり、エイブ "ナックルボール" シュワルツ(Abe “Knuckleball” Schwartz)なる野球選手ギミックのヒールにも変身[13]。MVP(Most Valuable Player)とも名乗り、野球の硬式ボールを模した顔面ペインティングにユニフォーム姿のペイントレスラーとなって[13]、1-2-3キッドやスパーキー・プラグとも対戦した[17]。 その後はブルックリン・ブロウラーのギミックに戻り、ニュー・ジェネレーション期に入ったWWFにおいて引き続きジョバーを担当したが、1997年9月22日、地元ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにて20人参加のバトルロイヤルに優勝[18]。11月15日の同所での定期戦において、ショーン・マイケルズが保持していたWWF世界ヘビー級王座への挑戦権を獲得した[13]。当日はフランク・シナトラの『ニューヨーク・ニューヨーク』を入場テーマ曲に、初の大舞台で15分間戦い抜いたが、ハンター・ハースト・ヘルムスリーとチャイナの干渉もあり、マイケルズのスウィート・チン・ミュージックを受けて敗退した[18]。 1990年代末からはバックステージのロード・エージェントに就任[19]。選手としてはセミリタイア状態となるも、試合にも度々出場し、2000年2月28日にマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたRAWではザ・ロックのジョバーを務め[20]、2001年4月1日の『レッスルマニアX-Seven』ではキム・チーのキャラクターでカマラと共にギミック・バトルロイヤルに出場した[21]。2003年1月15日にはカナダ・オンタリオ州ウィンザーのインディー団体ボーダー・シティ・レスリングにおいて、ジョニー・スウィンガーを破りBCWカンナム・ヘビー級王座を獲得[22]。同年7月27日にはWWEのPPV『ヴェンジェンス』で行われたAPA主催の酒場での喧嘩試合「バールーム・ブロウル・マッチ」にも参戦している[23]。 以降、2000年代から2010年代にかけてもRAWやスマックダウンなどWWEの番組に時折登場[2]。2012年12月16日にはブルックリンのバークレイズ・センターで開催された『WWE TLC: テーブルズ・ラダーズ・アンド・チェアーズ』にて、ザ・ミズ&アルベルト・デル・リオとトリオを組み、3MB(ヒース・スレイター、ジンダー・マハル、ドリュー・マッキンタイア)と対戦[24]。ミズのスカル・クラッシング・フィナーレを浴びたマハルからボストン・クラブでタップを取り、PPVにおける初勝利を収めた[25]。 2010年代は選手のプロモーションを担当していたが[4]、2016年5月、30年以上勤続していたWWEから解雇された[19]。 得意技
獲得タイトル
脚注
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