ジョーダン・199
ジョーダン・199 (Jordan 199) はジョーダン・グランプリが1999年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。デザイナーはマイク・ガスコイン。 概要199は前年途中チームに加入したマイク・ガスコイン(テクニカルディレクター)を中心に、マーク・スミス(チーフデザイナー)らによって開発された。当初失敗作とみなされていた198を改良したガスコインは、当マシンの出来によってさらに評価を高め、翌2000年にはルノーへ引き抜かれることになった。 エンジンはジョイント2年目となる無限ホンダV10で、メーカー系のワークスエンジンに見劣りしないパフォーマンスを発揮した。タイヤはグッドイヤーの撤退により、今季よりブリヂストンタイヤを履く。 当時のF1レギュレーションではローンチコントロールは禁止であったが、アンチストール(エンスト防止の為、エンジン回転数が一定の回転以下に下がらないようにする)システムについては合法であったため、チームではアンチストール及びピットレーンでのスピードリミッターの名目で、実質的にローンチコントロールを行うシステムを導入していた。ただしこのシステムは「発進後10秒以内に(ステアリング上のボタンを押して)動作をキャンセルしないと、エンジンがシャットダウンする」システムだったため、実戦ではドライバーの操作ミスでマシンがストップしてしまうことがしばしば起きた(対外的には「電気系統のトラブル」とアナウンスされた)[1]。特に同年のヨーロッパGPでは、同システムの解除ミスでマシンが2台ともストップ。さらにそのことが国際自動車連盟(FIA)のスチュワードであるチャーリー・ホワイティングに目をつけられる要因となり、次戦のマレーシアGPからは同システムの使用を禁止された[2]。 1999年シーズン前年にチームとしての初優勝をワンツーフィニッシュで飾る劇的な経験をしたジョーダンは、この年さらなる躍進を遂げることとなった。 新加入のハインツ=ハラルド・フレンツェンが2勝を挙げ終盤までタイトル争いに食い込む活躍を見せ、前年チームに初優勝をもたらし残留したデイモン・ヒルはサンマリノGPの4位が最高で表彰台に登ることはできなかったが、卓越したマシン開発能力はシャーシの進化に多大な貢献を果たしたと言えた。ヒルはこのシーズン限りでF1を引退し、そのキャリアに幕を閉じた。 フレンツェンとヒルの活躍により、チームはフェラーリ、マクラーレンに次ぐコンストラクターズランキング3位を獲得、これは2005年のチーム売却までジョーダンのランキング最高位であった。 スペックシャーシエンジン成績
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