スチュワート・SF-3
スチュワート・SF-3(Stewart SF-3)は、スチュワート・グランプリが1999年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。デザイナーはゲイリー・アンダーソン。SF3とも表記される。 概要スチュワートとしては3代目のマシンとなるSF-3は、テクニカルディレクターのアラン・ジェンキンスの元でデザインされたが、ジェンキンスは1998年シーズン後にチームを離脱し、代わって1998年秋にジョーダンから加入したゲイリー・アンダーソンが開発の指揮を執った。空力担当は、エグバル・ハミディと田中俊雄が務めた。 エンジンはフォード(コスワース)ZETEC-Rに代わり、新開発のCR-1(3.0L 72度V10)を搭載する。 ドライバーは在籍3年目のルーベンス・バリチェロとザウバーから加入したジョニー・ハーバートが務めた。 1999年シーズン開幕戦オーストラリアGPでは2台揃ってグリッド上でオイルリークが発生し、ハーバートは出走不可能という憂き目にあった。バリチェロは5番グリッドから4位完走という好スタートを切る。 第2戦ブラジルGPは、バリチェロが予選で圧倒的な速さを誇るマクラーレンに続く予選3番手を獲得。決勝レース序盤はトップを快走し母国のファンを熱狂させたが、3位走行中にエンジンブローで初優勝の夢は消えてしまった。第3戦サンマリノGPはバリチェロが3位で、1997年モナコGP以来の表彰台を獲得する。第7戦フランスGPではバリチェロが雨の予選で自身2度目(チームとしては初)のポールポジションを獲得し、決勝は今期2度目の3位フィニッシュ。 チームメイトに比べ精彩を欠いていたハーバートだが、天候の変化に翻弄された第14戦ヨーロッパGPでタイヤ交換の読みが冴え、1995年イタリアGP以来の優勝を果たし、スチュワートチームも創設3年目で初優勝を飾った。バリチェロも3位に入りダブル表彰台を達成する快挙となった。 最終的にコンストラクターズランキング4位という過去最高の成績を収め、このシーズン限りでエンジンサプライヤーであるフォードがチームを買収。2000年からはジャガーとして参戦することが決定し、上昇気流に乗っていたチームの歴史は3年で幕を閉じることとなった。1993年のF1デビュー以来伸び悩んでいたバリチェロは、晴れてフェラーリ移籍が決まる。 シャシー
エンジン
成績
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