ジョバニ・ドス・サントス
ジョバニ・アレックス・ドス・サントス・ラミレス(Giovani Alex Dos Santos Ramírez, 1989年5月11日 - )は、メキシコ・モンテレイ出身の元サッカー選手。元メキシコ代表。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 メディアによってはジオバニ・ドス・サントスとも表記・呼称される。なお、「Giovanni」ではなく「Giovani」であるため、「ジオバンニ」表記は誤り[要出典]。 経歴クラブFCバルセロナ![]() 13歳でFCバルセロナの下部組織であるラ・マシアに入る[1]。2005年に16歳でバルセロナBへ昇格を果たし、翌2006年夏のプレシーズン・ツアーにトップチームの一員として帯同[2]。7月29日にはデンマークのAGFオーフスとの練習試合でトップチーム初出場を果たしゴールも決めた。 翌2007-08シーズンもプレシーズン・ツアーに参加。8月7日に行われた横浜F・マリノスとの親善試合ではゴールを決めた。9月2日のアスレティック・ビルバオ戦の62分にティエリ・アンリとの交代で出場し、18歳と114日でリーガ・エスパニョーラ初出場。同月19日の対オリンピック・リヨン戦で79分にシャビ・エルナンデスとの交代でチャンピオンズリーグデビューを果たした。リーグ最終戦のレアル・ムルシア戦ではリーガ初得点を含むハットトリックの活躍を見せた。 トッテナム・ホットスパーFC2008年夏、イングランドのトッテナムへ完全移籍。移籍金は600万ユーロ(約9億9000万円)で契約期間は5年と報じられた[3]。出場機会を得ることに苦しみ、2009年3月にチャンピオンシップ(2部相当)のイプスウィッチ・タウンにシーズン終了までレンタル移籍した。翌2009-10シーズンも冬にトルコのガラタサライへ、2010-11シーズンも冬にラシン・サンタンデールへレンタル移籍。 4年目となる2011-12シーズン開幕前にはセビージャ、ビジャレアル、ウディネーゼから関心が寄せられたが[4]、合意には至らず残留。トッテナムで初めてフルシーズンを過ごしたが、リーグ戦では7試合の出場にとどまった。 RCDマヨルカ2012年8月、RCDマヨルカへ完全移籍。 ビジャレアルCF2013年7月、マヨルカの降格に伴い、ビジャレアルCFへ移籍[5]。 ロサンゼルス・ギャラクシー2015年7月16日、4年半契約でアメリカのロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍することを発表した[6][7]。 代表ユース2001年のダノンネーションズカップでは得点王とMVPを受賞。2005 FIFA U-17世界選手権ではチームの総得点の半分をアシストする活躍を見せ優勝に貢献。アンデルソンに次ぐ大会優秀選手賞(シルバーボール)を受賞した。 2007 FIFA U-20ワールドカップではグループリーグのガンビア代表戦、ポルトガル代表戦、決勝トーナメント一回戦のコンゴ共和国代表戦の3試合連続で先制ゴールを記録。チームは準々決勝でアルゼンチン代表に敗れたが、自身はセルヒオ・アグエロ、マキシミリアーノ・モラレス次ぐブロンズボールを獲得した。 A代表/オリンピック代表![]() ウーゴ・サンチェス監督により招集され2007年9月9日のパナマ代表戦でメキシコA代表デビュー。2009年6月25日のベネスエラ代表との親善試合で初ゴールを含む2得点。同年の2009 CONCACAFゴールドカップでは大会MVPに選ばれる活躍でチームを優勝に導いた。翌年に南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップでは全4試合に先発フル出場しベスト16入りに貢献。 2011 CONCACAFゴールドカップでは背番号10を与えられ、全6試合に先発出場。開催国アメリカ代表との決勝戦では4点目のゴールを決め、メキシコの6度目の優勝を決定づけた。2012年夏にはロンドンオリンピックに同年代のエースとして参加。ブラジル代表との決勝は欠場したが、それまでの5試合で3ゴールを挙げ金メダルに貢献した。 家族
個人成績クラブ
代表歴出場大会試合数
得点
タイトルクラブ
代表
個人
脚注
外部リンク
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