ジョエル・ピネイロ
ジョエル・アルバート・ピネイロ(Joel Alberto Piñeiro, 1978年9月25日 - )は、プエルトリコのリオ・ピエドラス出身のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。 ピニェイロと表記されることもある。 経歴マリナーズ時代1997年に、ドラフト12巡目でシアトル・マリナーズから指名を受け、プロ入り。 2000年に、同球団でメジャーデビューを果たした。 2002年頃から本格的に先発ローテーションに定着し、14勝を挙げる活躍を見せた。 2003年は、自己ベストの16勝を記録した。ちなみにこの年のマリナーズは、シーズンの最初から最後まで先発ローテーションを5人の投手だけで回した(5名はフレディ・ガルシア、ジェイミー・モイヤー、ギル・メッシュ、ライアン・フランクリン、そしてピネイロ)[1]。これは1966年のロサンゼルス・ドジャース以来、37年ぶりの記録だった[2]。その後は成績が低迷し、2006年には先発ローテーションを外されてリリーフに降格した。 レッドソックス時代2006年シーズン終了後にFAとなり、先発投手に転向する予定のジョナサン・パペルボンに代わるクローザー候補としてボストン・レッドソックスに移籍した。 2007年のスプリング・キャンプ時点では、フリアン・タバレスやマイク・ティムリンらと共にクローザー候補であった。しかし、昨シーズン終了時点で、185登板で148先発とキャリアの大半を先発投手として過ごしてきたピネイロが、クローザーとしての適性を備えているのかどうか、疑問視する人も少なくはなかった。その予想通り、ピネイロも含めて他のクローザー候補も結果を残せず、パベルボンがクローザーに復帰することとなった。シーズンが始まると、主に敗戦処理や中継ぎとして起用されたが精彩を欠き、7月23日にDFAとなった。レッドソックスでの成績は、すべてリリーフでの31登板で、1勝1敗、防御率5.03であった。 カージナルス時代7月31日に金銭トレードでセントルイス・カージナルスへ移籍。初のナ・リーグとなったカージナルスでは、エースのクリス・カーペンターが右ヒジ手術のために今季絶望、左腕エースのマーク・マルダーも左肩のリハビリ中、同じく今季途中に加入したマイク・マロースもDL入りという状況であったため、主に先発として起用された。カージナルス移籍後初登板となった8月4日こそ、ピリッとしなかったものの、9月4日までの6登板とも好投し、計7登板で5勝を挙げ、復調を予感させた。マルダーとマロース復帰後もローテーションを守り抜き、今季から先発に転向したアダム・ウェインライトとブレイデン・ルーパーと共にチームに大いに貢献した。結局、シーズントータルで、7勝5敗、防御率4.50と2年続けて低調な数字に終わった(カージナルス移籍後は、11登板で11先発、6勝4敗、防御率3.96)。同年オフの10月15日に、2年総額1300万ドルでカージナルスと契約。 2009年11月6日にFAとなった。 エンゼルス時代2010年1月21日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと2年契約に合意。 2011年10月30日にFAとなった。 エンゼルス退団後2012年1月15日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだが、3月19日に放出され、4月11日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ。 2013年2月4日にオリオールズとマイナー契約で再契約。7月30日に放出された。 2014年4月1日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ[3]。 2015年5月9日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結ぶ。7月22日に解雇となる。 2016年オフにはプエルトリコのウィンターリーグでプレーした。 2017年2月8日に指名投手枠で第4回WBCのプエルトリコ代表に選出された[4]。 詳細情報年度別投手成績
代表歴脚注
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia