ホセ・クルーズ・ジュニア
ホセ・ルイス・クルーズ・ジュニア(Jose Luis Cruz Jr., 1974年4月19日 - )は、プエルトリコのアローヨ出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投両打。ライス大学野球部の監督を務める。 経歴プロ入り前1974年にプエルトリコで生まれ、テキサス州ヒューストンで育った[1]。父のホセ・クルーズの影響で少年時代から野球を始め、父の現役時代は直接指導を受けられずにいたが、1988年に父が引退するとバッティングと守備を重点的に教えてもらえ、上達していくのが自分でも分かったという[1]。 1992年6月1日、MLBドラフト15巡目(全体425位)でアトランタ・ブレーブスから指名を受けたが、この時は契約せず[2]、地元のライス大学へ進学した。1年の時から3年連続でオール・アメリカンに選出され、1994年に行われた第23回日米大学野球選手権大会では5番打者を務めた[1]。 プロ入りとマリナーズ時代1995年6月1日にMLBドラフト1巡目(全体3位)でシアトル・マリナーズから指名され、プロ入り[2]。契約後、傘下のA-級エバレット・アクアソックスでプロデビューの後、A+級リバーサイド・パイロッツでプレーした。翌1996年はA+級ランカスター・ジェットホークス[3]、AA級ポートシティ・ルースターズ、AAA級タコマ・レイニアーズでプレーした。3球団合計で122試合に出場して打率.293、15本塁打、89打点を記録し、マリナーズのマイナー・リーグ最優秀選手に選出された[1]。 1997年のスプリングトレーニングでは左翼手のレギュラー最有力候補となり、プレシーズン・ゲームで22試合に出場し、打率.339、4本塁打、12打点を記録し、レギュラーは確定と思われたが、監督のルー・ピネラは経験を積ませるためマイナー行きを命じた[1]。 当時マリナーズのGMだったウッディ・ウッドウォードは「今シーズン中に必ず大リーグでメジャーデビューする」と明言し[1]、5月31日にマリナーズでメジャーデビューを果たした。メジャーに昇格したクルーズは、49試合で12本塁打を放つ活躍を見せた。 ブルージェイズ時代1997年7月31日にマイク・ティムリン、ポール・スポルジャーリックとのトレードで、トロント・ブルージェイズへ移籍した[2]。ブルージェイズでも長打を量産し、55試合で14本塁打を記録するパワーを披露した。最終的に2球団合計では104試合の出場で26本塁打を記録した。アメリカンリーグのルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票ではノマー・ガルシアパーラが満票で受賞し、ガルシアパーラに次ぐ2位となった[4]。 メジャー2年目となる1998年は本塁打の生産ペースが落ち、1997年よりも1試合多い出場試合数で、本塁打数は15本も減少してしまった。 翌1999年も成績が振るわなかったが、2000年にはシーズン全162試合にフル出場し、31本塁打を記録した。しかし一方では打率が.242に留まり、三振も129三振を喫してしまった。2001年は打率、本塁打、および盗塁数で自己最高の成績を残し、30-30クラブ(30本塁打30盗塁)入りを達成した。2002年は成績が急落し、オフの12月21日にFAとなった。 ジャイアンツ時代2003年1月28日にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約を結んだ[2]。同年は自身初の100四球を記録した。オフの10月22日には自身2度目となるFAになった。また、ゴールドグラブ賞を受賞した。 デビルレイズ時代2003年12月17日にタンパベイ・デビルレイズと契約した[2]。 2004年は前年と大きく変わらない打撃成績を残したが、守備ではア・リーグ最多となる10失策を記録した。 ダイヤモンドバックス時代2005年2月6日にケイシー・フォッサムとのトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[2]。 2005年は開幕をダイヤモンドバックスで迎えた。 レッドソックス時代2005年7月30日にケニー・ペレス、カイル・ボーノの2選手(ともに当時マイナー選手)とのトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した[2]。レッドソックスでは4試合に出場したのみだった。 ドジャース時代2005年8月9日にはウェイバー公示となり、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[2]。 2006年はシーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のプエルトリコ代表に選出された。シーズンでは前年に引き続きドジャースで開幕を迎えたが、打撃成績が低迷し、シーズン途中の8月1日にFAとなった[2]。 パドレス時代2007年はサンディエゴ・パドレスと契約した。7月31日に自由契約となった [2]。 ヤンキース傘下時代2007年8月18日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースでプレーした。 アストロズ時代2008年には父がコーチを務めているヒューストン・アストロズと契約した。プレシーズン・ゲームでは打撃好調で開幕メジャー入りを果たしたが、6月6日に自由契約となった。翌日に行われたインタビューで引退の可能性を示唆し[5]、その後はどの球団とも契約せずに引退した。 引退後引退後はMLB選手会の選手担当特別補佐を経た後、2021年よりデトロイト・タイガースのコーチ(後に役職は打撃コーチ補佐に決まる)を務める[6]。シーズン中の6月9日にタイガースを退団して母校のライス大学野球部の監督に就任した [7]。 クルーズ・ベースボール・ファミリーホセ・クルーズ・ジュニア(Jr.)とされている事からも分かるように、元メジャーリーガーのホセ・クルーズの息子である。叔父のトミー・クルーズとヘクター・クルーズもそれぞれ元メジャーリーガーである。 また、息子のトレイ・クルーズは2020年のMLBドラフト3巡目(全体73位)でタイガースから指名され[8]、プロ入りしている。 詳細情報年度別打撃成績
表彰
背番号
代表歴
脚注
関連項目外部リンク |
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