エヴロス県
エヴロス県(エヴロスけん、Έβρος / Evros)は、ギリシャ共和国の東マケドニア・トラキア地方を構成する行政区(ペリフェリアキ・エノティタ)のひとつ。ギリシャ共和国で最も東北に位置し、トルコ・ブルガリアと境界を接する。県都はアレクサンドルーポリ。 地理位置・広がりエヴロス県は、東西に長い東マケドニア・トラキア地方の最も東に位置する。また、ギリシャ共和国領土の最北端となる県である。 エヴロス県は、西トラキア(トラキアのギリシャ領部分)の一部である。その名称は、トラキアの重要な河川であり、現在はギリシャとトルコを分かつ国境となっているエヴロス川(en:Maritsa)に由来する。エヴロス県の北部および北西部はブルガリアと国境を接する。西部は、ロドピ県と接する。 エヴロス県は、ギリシャのうちで最も広い県の一つであり、西トラキア地方の45%を占める。南北は約150km、東西は70~100kmの長さである。また、エーゲ海上のサモトラキ島を県域に含む。 地勢県内第一の川はエヴロス川、第2の川はアルダ川である。 気候県の南部、および中部は主に地中海性気候である。北部および高地部では、冬に寒冷な大陸性気候が主に見られる。 歴史現在のエヴロス県の地帯には、マケドニア王国に併合されるまでは、トラキア人が支配していた。紀元前310年ごろの分裂までマケドニア王国の支配が続き、代わって紀元前80年ごろまでセレウコス朝の統治下に入った。その後トラキア属州として、ローマ帝国に編入されたのち、紀元後395年のローマ帝国が東西に分かれたときには東ローマ帝国領となり、15世紀まで続いた。この間には、スラヴ人やゴート人に侵略されていた。 その後、オスマン帝国の支配下に入ったが、ギリシア独立戦争時にこの地で起こった戦闘は敗北し、反乱は鎮圧された。また、バルカン戦争ではブルガリアに占領、割譲され、完全にこの地域がギリシアの統治下となったのは、第一次世界大戦後の1920年であった。この地域はトラキア県の一部となり、1947年に細分化され、現在のエヴロスとなった。 希土戦争中に、ギリシア人の避難民の多くが、これらの新しく設置された県内の町や村、トルコ人やその他の民族が古くから住む地域にも移住し、オレスティアダの新市街などは、経済がわずかながら向上した。第二次世界大戦とギリシア内戦を経たのちに、アレクサンドルーポリの地域には、多くの建造物が再建され、経済が復興したが、もとの住民の何割かは、19世紀の中ごろから終わりにかけての間に、ギリシア国内の大都市や、あるいは外国に移住した。 エヴロス川流域は洪水の被害がたびたび発生した。1950年代と60年代には、オレスティアダ郊外の集落が被害を受け、1997年末にはラヴァラおよびディディモティホが水に浸かった。また、2005年には、2月17日から22日にかけて、および5月1日から4日にかけても洪水が発生した。2007年7月30日には、アレクサンドルーポリの40km北のアイシミで山火事が発生した。また、その数日後の8月6日には、この一帯を豪雨が襲い、大きな被害が発生した。 行政区画市(ディモス)エヴロス県は、以下の自治体(ディモス、市)から構成される。人口は2001年国勢調査時点。
旧自治体(ディモティキ・エノティタ)カリクラティス改革(2010年)以前の広域自治体(ノモス)としてのエヴロス県は、以下の13の基礎自治体(ディモス)から構成されていた。改革後、旧自治体は新自治体(ディモス)を構成する行政区(ディモティキ・エノティタ)となっている。
郡(エパルヒア)県には以下の5つの郡(エパルヒア)があったが、2006年以降法的な位置づけは行われていない。かつてのエパルヒアは、2011年のカリクラティス改革時のディモスのもとになった。
外部リンク
|