ウェイン・ブルーム
ウェイン・ブルーム(Wayne Bloom、1958年2月22日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミネソタ州ミネアポリス出身。 現役選手時代はマイク・イーノスとの金髪タッグチーム「デストラクション・クルー」および「ビバリー・ブラザーズ」で活躍[2]。ヒールのタッグプレイヤーとしてAWA、WWF、WCWを転戦した[2]。息子はNXTスーパースターのカル・ブルーム[3]。 来歴ジェシー・ベンチュラやロード・ウォリアーズのトレーナーとして知られるエディ・シャーキーのコーチを受け、1986年に地元ミネアポリスのAWAにてデビュー[1]。ウェイン "ザ・トレイン" ブルーム(Wayne "The Train" Bloom)をリングネームにヒールのポジションで活動し、1988年12月13日開催のPPV "SuperClash III" ではジミー・バリアントと対戦するも24秒で敗退した[4]。 1989年、ジョニー・バリアントをマネージャーに迎え、弟弟子の "ミーン" マイク・イーノスをパートナーにデストラクション・クルー(The Destruction Crew)を結成。AWA世界タッグ王者チームのケン・パテラ&ブラッド・レイガンズを急襲してパテラを負傷させ、空位となった同王座の争奪トーナメント決勝にてグレッグ・ガニア&ポール・ダイヤモンドに勝利、10月1日に新王者チームとなった[5]。同年11月には新日本プロレスに単独で初来日[6]。翌1990年8月にはイーノスとのコンビで再来日し、両国国技館にて武藤敬司&蝶野正洋のIWGPタッグ王座に挑戦した[7]。 AWA崩壊後の1991年、ビバリー・ブラザーズ(The Beverly Brothers)のチーム名でイーノスと共にWWFに移籍。自身は長兄役のボウ・ビバリー(Beau Beverly)、イーノスは弟役のブレイク・ビバリー(Blake Beverly)を名乗り、富裕層のゲイの兄弟を新しいギミックとして活動。マネージャーはザ・ジニアスが担当し、リージョン・オブ・ドゥーム、ザ・ロッカーズ、ザ・ブッシュワッカーズ、ナスティ・ボーイズ、スタイナー・ブラザーズなどベビーフェイス陣営のチームと抗争を展開した[8][9]。1992年8月29日にロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催されたサマースラムでは、アースクエイクとタイフーンのナチュラル・ディザスターズが保持していたWWF世界タッグ王座に挑戦[10]。同年には日本のSWSとWARにも参戦している[11]。 1993年にWWFを離脱してセミリタイアし、ミネソタのインディー団体へのスポット出場を経て、1997年下期よりWCWでイーノスとのデストラクション・クルーを再結成。ジ・アウトサイダーズ(ケビン・ナッシュ&スコット・ホール)、クリス・ベノワ&ディーン・マレンコ、レイヴェン&ペリー・サターンなどのチームのジョバーを務め[2][12]、1999年に引退した[1]。 得意技獲得タイトル
脚注
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