アレハンドロ・ルイディアス
アレハンドロ・ルイディアス(Alejandro Ruidiaz, 1969年9月23日 - 2006年3月)は、アルゼンチン出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 経歴CAインデペンディエンテの育成組織出身[2]。15歳の時にアルゼンチンJrユース代表に選出されフェルナンド・レドンドやウーゴ・マラドーナらとともに中国で開催された1985 FIFA U-16世界選手権に参加[3]。グループリーグ第3戦のコンゴ共和国戦に出場した[2][4]。17歳の時にトップチームに昇格し、当時10番を背負っていたリカルド・ボチーニの後継者と目された[3][5]。 1988年にアルゼンチン五輪代表に選出され、韓国で開催されたソウルオリンピックに参加[3]。グループリーグ初戦のアメリカ戦に出場[6]。1989年にはアルゼンチンユース代表に選出され、ディエゴ・シメオネやロベルト・ボナーノらとともにサウジアラビアで開催された1989 FIFAワールドユース選手権に参加[3]。グループリーグ初戦のスペイン戦、準々決勝のブラジル戦の2試合に出場した[7][8]。 同年12月2日、日本サッカーリーグ (JSL) 1部の東芝サッカー部に加入[9]。翌12月3日に行われたJSL1部第11節のフジタ戦でデビューし[10]、1990年1月29日に行われた第12節の本田技研戦で初得点を決めた[10]。東芝ではリーグ戦11試合に出場し4得点1アシストを記録した[10]。 同年8月、インデペンディエンテに復帰したが、直後に交通事故に遭遇したため離脱を余儀なくされた[3][11]。さらに1991年12月以降は膝の怪我のため実戦から遠ざかった[3]。インデペンディエンテでの通算成績は30試合出場3得点[5]。退団後の1992年9月にCAリーベル・プレートとの間で契約寸前まで話が進んだが、運動能力テストの際に先天性の心臓の問題が見つかり破断[3][11]。23歳の若さで現役を引退した[3]。 個人成績日本国内成績
代表歴
脚注
参考文献
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