ロベルト・ボナーノ
ロベルト・オスカル・ボナーノ(Roberto Oscar Bonano, 1970年1月24日 - )は、アルゼンチン・ロサリオ出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 来歴クラブ地元のCAロサリオ・セントラルからデビューし、1996年に移籍したCAリーベル・プレートでは、ブルゴスとレギュラーを争ったが、プリメーラ・ディビシオンで5度、コパ・リベルタドーレスで1度、スーペルコパ・スダメリカーナで1度の優勝を果たした。1996年日本開催のインターコンチネンタルカップ、ユベントスとの対戦においては、ボクシッチのなど決定期をファインデーブで再三防いだが[1]、デルピエーロにゴールを許し、1-0で敗れた。 2001年夏、31歳にして初の海外挑戦を決意し、スペイン・リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナに移籍した。すぐにポジションを獲得し、8月26日のセビージャFC戦 (2-1) でデビューしたが、攻撃偏重のプレースタイルへの適応に苦しみ、周囲からの批判にさらされた。下部組織からビクトル・バルデスが台頭すると余剰戦力とみなされ、2003年夏にはレアル・ムルシアへの移籍を余儀なくされた。2004年夏にはセグンダ・ディビシオン(2部)のデポルティーボ・アラベスに移籍し、プリメーラ・ディビシオン(1部)昇格に一役買ったが、2005-06シーズンは同郷のフランコ・コンスタンソにポジションを奪われ、シーズン終了後にセグンダ・ディビシオンへの降格が決まった。2007-08シーズンはチームメイトのルイス・カレラスと喧嘩し、クラブの代表でありオーナーであり経営者であるディミトリ・ピテルマンに出場禁止処分を下されるという散々なシーズンだった[2]。シーズン終了後に現役引退した。 代表世代別アルゼンチン代表を経て、1996年12月28日のユーゴスラビアとの親善試合 (2-3) でアルゼンチンA代表デビューした。2002年にはFIFAワールドカップに出場するメンバーに選ばれた。正ゴールキーパーを務めていた時期もあり、通算13試合に出場した。 代表歴出場大会試合数
タイトル
脚注
外部リンク
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