アルフレッド・ゴズデン
アルフレッド・ゴズデン(Alfred Gosden, 1873年7月9日 - 1941年9月22日)は、イギリス出身のアメリカ合衆国の撮影監督、現像技師である[1]。アルフレッド・G・ゴズデン(Alfred G. Gosden)、A・G・ゴズデン(A. G. Gosden)ともクレジットされた[1]。 人物・来歴1873年(明治6年)7月9日、イギリス・イングランドのロンドンに生まれる[1]。 1912年(明治45年)、アメリカ合衆国出身のチャールズ・アーバンがイギリスで製作したキネマカラーによる6時間におよぶドキュメンタリー映画であり、イギリス初のフィーチャー映画とされる With Our King and Queen Through India の撮影に、4人の撮影技師のひとりとして参加する[1]。 1915年(大正4年)までの時期に渡米し、カリフォルニア州カルヴァー・シティのトライアングル・フィルム・コーポレーションに入社、同年から1917年(大正6年)にかけて、エドワード・ディロンやチェスター・ワージー、トッド・ブラウニングらの監督作で撮影技師を務める[1]。同年、同州ロサンゼルス市に移り、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍する[1]。前年の1916年(大正5年)に同社傘下に設立されたブルーバード映画で、ロバート・Z・レナード監督の『春の夢』や『黄金の夜』、ダグラス・ジェラード監督の『孤松の唄』、トッド・ブラウニング監督の『花いばら』や『気の向くまゝに』、エルシー・ジェーン・ウィルソン監督の『拵へる女』を手がけ[1]、これらはすべて日本でも公開された[2]。 ブルーバード映画消滅後も、ローリン・S・スタージョンやジョージ・シーグマンの監督作や、エディ・ライオンスおよびリー・モーランの監督・主演作を多く手がけるが、1925年(大正14年)にユニヴァーサルを退社、小プロダクションの作品を手がける[1]。 1916年(大正5年)以来、日本市場に積極的に進出していたユニヴァーサルが、1926年(大正15年)9月、独立したばかりのスター俳優阪東妻三郎と組んで、製作会社阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画を日本に設立、カール・レムリが日本に送り込んだスタッフの1人として、ジェイ・マーチャントらとともに同年10月4日に横浜港に上陸している[3]。マーチャントやハロルド・スミス、アル・ボックマンはユニヴァーサルと阪東との合弁会社の作品に名を連ねた[4]が、ゴズデンは「現像技師」として作品に携わり、クレジットされなかった。同社は同年5月末には契約解除となり、マーチャントらとともに帰国となった[3]。 米国に帰国以降の作品の記録は見当たらない[1]。 1941年(昭和16年)9月22日、カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッドで死去した[1]。満68歳没。 フィルモグラフィ特筆以外はすべて撮影作である[1]。 1910年代
1920年代
関連事項註
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