たかまつなな
たかまつ なな(1993年7月5日 - )は、日本のお笑いタレント。株式会社笑下村塾 創業者・取締役・元代表取締役社長。お笑いジャーナリスト、YouTuber、番組プロデューサー、コンサルタントとしても活動。2018年4月からは日本放送協会(NHK)局員(ディレクター職)[2](2020年7月末退職)[3]。本名、高松 奈々(読み同じ)[4]。 神奈川県横浜市出身[1]。かつてサンミュージックプロダクションに所属していたが、2015年8月9日からフリー。2019年3月29日より漫才協会に加入[5]。 来歴・人物横浜市立浜小学校、フェリス女学院中学校・高等学校卒業。慶應義塾大学在学中の2015年4月より東京大学大学院情報学環教育部に研究生として入学[6]、2018年3月に修了[7][注 1]。2016年3月慶應義塾大学総合政策学部卒業。学士(総合政策学)取得。同年4月慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程に入学し、2018年3月に修了。修士(政策・メディア)取得[7][9]。 幼稚園の頃から習い事が多く、休みは週1回だった[10]。8歳の時に父親の仕事の都合により、大阪府八尾市から横浜市へ移る[11]。小学生時代、広島で原爆ドームを見学したのがきっかけで平和に関心を持ち[12]、10歳の時に野口健主宰の「野口健環境学校」に参加し、富士山での不法投棄の現場を目にして環境にも関心を持つ[13]。中学1年生の時に読売新聞子供記者団に入り、子供記者として6年間活動する[11][14]。また、2011年から第14代高校生平和大使として国連大使も務めた[14](ジュネーブ軍縮会議出席など活動[12])。 スポーツは、陸上競技、サッカーが特技で、学年内で一番の俊足と言われ[15]、陸上では第21回全国小学生陸上競技交流大会の女子800mの部で8位に入り、サッカーでは小学4年生から横浜F・マリノスのジュニアユースチームでプレーしたこともある[16][1]。子供の頃はサッカー選手になりたいと思っていたこともあった[17]。趣味は登山で、中学生時代にはハイキング部に所属[11]、部長も務めた[14]。2013年4月29日には筑波山の山頂でライブも行った[18]。今でもストレス発散や、落ち込んだ時にはよく登山に行くという[17]。 中学・高校時代の恩師に言われた「やりたいことは全部、全力でやりなさい」という言葉を一番意識しているとのことで、勉強と芸人活動に全力を傾けているために遊んだり、恋愛したりせず、食事の時間も惜しいと言う。恋愛はしていない一方で、恋愛心理学を勉強している[19]。 NHK2017年11月21日、NHKから翌2018年4月入局の内定(ディレクター職)を受けたことを明らかにした[20]。同年同月、NHKにディレクター職で入局[21]。NHKでは兼業が認められていないため、自身が経営する笑下村塾の存続調整が付き、NHKに入局して正式に辞令が出た以降は、お笑い芸人の活動はボランティアとして続けていくとしている[22]。2020年7月末をもって退職[23]。 芸人活動お笑いの活動は中学生時代から始める。お笑いを意識したきっかけは、中沢新一と太田光(爆笑問題)の共著『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)を読んだことで、当時は「バラエティ番組は一切見ない」という家柄もあって太田のことは知らず、後に太田がお笑いをやっていることを知ってたかまつ自身の目標になったという[24]。中学3年生の時に新宿区と吉本興業主催のお笑い大会『ちびっこ漫才グランプリ』でトリオで出場、決勝進出。同年、学内でお笑いカルテット『ぱんなこった』結成。2011年、高校3年生の時にハイスクールマンザイ2011でコンビ『崖っぷちのエイリアン』で準決勝進出。同年『笑顔甲子園』にはコンビ『ぱいんぶりっじ』で出場し決勝進出、審査員特別賞を受賞。『ハイスクールマンザイ』で優勝するために、漫才2年目の時には15回ほど相方を替えたという(これを含めて、これまでに30回ほど相方を交替)[25][26]。『漫才台本甲子園』では2009年、2010年と2年連続で佳作を受賞[16]。 将来はお笑い芸人になると決めて高校2年生頃までは大学進学を考えてはいなかったが、社会・科学・文化などの諸問題・話題などの物事を広く見たいと思い、大学進学を決めたという[4]。大学入試はAO入試一本に絞り[4]、合格した慶應義塾大学、筑波大学、中央大学などでセンターマイクを持ち歩いてお笑いのネタを披露し[11][16][4]、慶大の入試の面接で今の芸風でもあるフリップ芸を初めて披露した[19]。そのため、現在はAO入試、推薦入試、2020年大学入試改革に関する講演会に多数出演しており、NHKEテレ『テストの花道』では講師役を務めた。 お笑い以外では、2010年と2011年に『高校生の主張コンクール』で2年連続で決勝進出、2回ともに優秀賞を受賞(2010年・安達峰一郎賞、2011年・国連広報センター賞)[27]。2011年には『第13回後藤新平・新渡戸稲造記念 拓殖大学 高校生・留学生作文コンクール』で最優秀賞(後藤新平賞)を受賞[16]。この賞で受け取った賞金20万円はワタナベコメディスクールの入学金・授業料に充てた[28]。なお、芸人を始めてから大学の学費以外の資金援助が一切なくなり、アルバイトも禁止されていたため[29]、公募ガイドを読んでは作文コンテストに応募し、多くのコンテストで受賞、賞金獲得していた。 『明治大学お笑いサークル木曜会Z』8期生出身[30]。なお、かつて同じサンミュージックに所属していた武家の女、ケイダッシュステージ所属のサツマカワRPG、 YouTuber「おるたなChannel」、漫画家アーノルズはせがわとはこの同じサークルで過ごした同志である[31]。 2011年10月にワタナベコメディスクールに15期生として、特待生で入学(2012年9月卒業)[11]。しかし、ワタナベエンターテインメント所属はならず、卒業後はしばらくフリーで活動する。2012年夏頃から久保田星希(現・あはは)との男女コンビ『日本の頭脳』として活動していたこともあったが、日本の頭脳は2012年12月31日で解散[32]。以後はピンで活動する。サンミュージックには2013年4月に所属する。 2013年、R-1ぐらんぷり2013で、フリー(当時)としては唯一の準決勝進出。同年、日本テレビの『日本一テレビ・ワラチャン! U-20お笑い日本一決定戦』で決勝進出、優勝[33]。同年、第9回『出版甲子園』で「学生芸人!たかまつななのダメ出し紀行!」という企画をプレゼンテーションし、準グランプリを受賞[34]。 2014年7月7日からは、『高松豪とたかまつななのオールナイトニッポン0(ZERO)』のパーソナリティを担当していた。 2015年、第36回ABCお笑いグランプリ決勝進出(同年1月18日決勝戦)。結果は8位[35]。また、2014年 - 2016年の間には、ORF(Open Research Forum、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスが毎年行うフォーラム)第8回・SFC学生の研究・活動発信優秀賞受賞(2014年)、第1回 政治美人コンテスト グランプリ(2015年)、「次世代の読書芸人」(読売新聞主催)優勝(2016年)の各賞を受賞[27]。 単独ライブ『花より団子より世間体』が開催された2015年8月8日を以って、サンミュージック所属を離れる。新しい夢に向かうためということで、サンミュージック社長も温かく見送るという円満退社だった。活動は引き続きフリーで行っている[36]。 M-1グランプリでは、2015年はゆーびーむ☆とのコンビ「たかまつびーむ☆」(1回戦敗退)[37]。2016年は一緒にユニットライブをやっている中村涼子、紺野ぶるまとのトリオ「たかぶるりょうこ」で出場した(2回戦まで進出)[38]。 NHK入局に伴い、2018年3月9日・10日に開催した単独ライブをもってプロのお笑い芸人を卒業[39]。その後も芸人活動は続行し、ライブ出演、講演会などを実施している[40]。NHKではディレクターとして、『NHKニュース おはよう日本』を担当している[41]。 お笑いジャーナリスト活動小学生の時に目撃した富士山の不法投棄の現状がきっかけで、現場に向き合うお笑いジャーナリストとしても活動[42]。 テレビのコメンテーターや連載、ライブ、YouTubeでお笑いを通して、分かりやすく発信。またライブのゲストに菅直人元首相を呼び、若者の選挙について討論したり、シンポジウムの司会やパネリストも行っている。 2014年「一新塾」にて35期生として学び、2015年11月に修了[43]。 2015年1月、JICA「なんとかしなきゃ! プロジェクト」に著名人メンバーとして就任[27]。カメルーン・マダガスカルなど日本の国際協力を視察。 2015年11月、厚生労働省委託事業「もっと身近に!」緩和ケア普及啓発キャンペーンにおいてメッセンジャーとして就任[44]。 2017年、小池百合子主催の「希望の塾」に一期生として入塾。お笑いジャーナリストとして、希望の塾について潜入取材する事が目的。 起業家活動2016年4月、自らが代表取締役となる会社「株式会社 笑下村塾」(しょうかそんじゅく)を設立、社長を務める[9]。18歳選挙権導入をきっかけに、若者と政治を繋ぐべく『笑って学べる出張授業』のコンテンツを開発。「笑って学べる国際協力」「人を惹き付けるプレゼンテーション研修」「AO入試・推薦入試の極意」「教師のための主権者教育」などを授業テーマに全国の学校で出張授業を実施[42]。『笑って学べる出張授業』の活動は、東京都初の民間人校長藤原和博やタレントの伊集院光に相談して作成している[45]。 2016年4月に自身の会社「株式会社笑下村塾」設立した後は、起業家としても評価され、2017年第3回女性起業チャレンジ制度特別賞等を受賞。 NPOや社団法人ではなく株式会社としたのは主権者教育の分野で競合他社が出て来た場合に切磋琢磨するためだという。しかし一人で全部やり過ぎて人には任せられないという問題を自ら抱え、このままでは笑下村塾の理念が実現出来ず、自分の個人事務所の域を脱せないといった危機感を持っていた所に、周囲の人々から、逆に笑下村塾を大きく出来るチャンスとNHKへの入局を勧められたことで、今が笑下村塾という会社を考えてもいい時と思って決断し、NHK入局に至ったという[46]。たかまつ自身は取締役に退いて、会社経営は新代表取締役が運営することになったが[47]、その新代表がメニエール病を発症し、療養のため退任。たかまつが笑下村塾代表に復帰することはNHKから許可されなかったため、NHKを辞める覚悟もあったが、その新代表や笑下村塾のスタッフたちから「NHKを辞めないで」という声が多く寄せられたことで「志半ばでNHKを辞めてはいけない」と思い直したという[21]。その後笑下村塾の代表取締役社長は、たかまつの同じ大学の同級生だった相川美菜子が務めている[48]。 一方でたかまつななのクイズアカデミーを主宰している。 2023年3月14日に開催されたソーシャルビジネスコンテスト「みんなの夢AWARD13全国大会」にて、「『社会は変えられる』と思う子どもたちを増やしたい」というタイトルの内容を提案してプレゼンテーションを行い、計356人のエントリーから選ばれた7人のファイナリストの中から優勝[49]。 性加害問題2024年2月9日、東京都内で記者会見をした[50]。ジャニー喜多川の性加害など芸能界で人権侵害が相次いでいると指摘し、「芸能人を守る法律や制度を整え、古い体質が残る芸能界を変えたい」と訴えた[50]。 たかまつは会見で、高校生の頃、アマチュアのお笑い芸人として活動中にライブハウスで「弁当を食べている時、誰かにしばらく尻を触られた」と性被害を告白した[50]。 交流野口健とは「野口健環境学校」に参加して以来交流があり、たかまつの芸能活動を応援しているという[1][51]。また、ノーベル化学賞を受賞した化学者の白川英樹とはメル友でもあるという[1][24]。 家族・親族2歳年上の姉が居る[19]。 先祖に坂上田村麻呂[52]、内藤新宿を開拓した高松嘉六がいる[27]。 高祖父は、東京大学名誉教授で東京ガス第2代社長を務めた化学技術者・応用化学者の高松豊吉[53]。 エピソード
趣味・嗜好
実家について
芸風フェリス女学院出身であることを活かし、フリップをめくりながら演じる『お嬢様言葉』のネタシリーズが代表例。各界の名言や流行語、アニメの名セリフ、有名なギャグなどをお嬢様言葉に変換するなど、いくつかのお嬢様言葉シリーズのネタを披露している[12]。これらのネタは、フェリス時代にお世話になった教師やその学校の環境に影響されていたことから出来た[29]。またこれの応用形で、フリップを使わず、お嬢様のドレスと庶民の服装を半々にした衣装で、庶民(世間の人)の場合とお嬢様の場合の言葉遣いの違いのネタも披露している[72]。この他には、桃太郎などの有名な物語・寓話に法律上の視点を絡めた「昔話の上での疑問点」のネタ[73]、社会風刺ネタ、一発ギャグなどがある[72]。また、これまでには一人コントも演じていたことがある[72]。 なお、芸人活動を始めるにあたって、フェリスの生徒指導主任から「絶対に友達や他人を傷付けず、清く正しく品格あるお漫談をやりなさい」と言われ、今でもこれを心掛けているという[24]。 出演テレビ
ラジオ
ライブ単独ライブ
ユニットライブ著書
掲載
脚注注釈
出典
外部リンク
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