あこがれ (玉置浩二のアルバム)
『あこがれ』は、日本のシンガーソングライターである玉置浩二の2枚目のオリジナル・アルバムである。 1993年3月24日にKitty Recordsからリリースされた。前作『All I Do』(1987年)より約6年振りとなるソロアルバムであり、また安全地帯の作品を含めると『安全地帯VIII〜太陽』(1991年)より約1年3ヶ月振りとなるオリジナルアルバムである。作詞は1曲を除き全曲須藤晃が担当、作曲は玉置、プロデューサーは金子章平が担当している。 レコーディングは日本国内にて行われ、ニュージーランド出身のプロデューサーであるポール・エリスの他、キーボディストの奥慶一や清水一登、安全地帯時代から参加していたBAnaNAこと川島裕二が参加している。音楽性としては玉置が長年録り溜めていたバラード集となっており、アコースティックな音使いをメインとした精神世界を表現した内容となっている。 先行シングルとしてリリースされ、映画『ナースコール』の主題歌として使用された「コール」を収録している。 オリコンチャートでは最高位4位となった。また、本作を最後に安全地帯としてのデビュー以来在籍したKitty RecordsからSony Recordsへと移籍したため、Kitty Records在籍時の最後のアルバムとなった。 背景安全地帯の8枚目となるオリジナルアルバム『安全地帯VIII〜太陽』(1991年)をリリースした後、同バンドは1992年にデビュー10周年を記念したライブツアー「10th Anniversary Acoustic Special Night」4月16日の川崎クラブチッタから12月26日の神奈川県立県民ホールまで敢行[2]。最終日となった神奈川県立県民ホールでの公演は「安全地帯のベスト・ライヴだった」と玉置が証言するほどの満足度となり、当日の模様を収録したライブビデオ『安全地帯アンプラグド・ライヴ!』が1993年8月25日にリリースされる事となった[3]。またこのライブツアーの最中の12月2日に安全地帯としてシングル「あの頃へ」をリリース、同曲は月桂冠「花鳥風月」のコマーシャルソングとして使用された[4][5][6]。 また1992年に玉置は単発テレビドラマに多く出演するなど俳優業も精力的に行っており、6月11日放送のフジテレビ系テレビドラマ『世にも奇妙な物語』(1990年 - )の一話「ハイ・ヌーン」に出演した[7]他、6月26日放送のフジテレビ系テレビドラマ枠である『金曜ドラマシアター』にて『実録犯罪史シリーズ 最期のドライブ 富山長野女子高生・OL連続誘拐殺人事件』に出演[8]、12月11日放送の『金曜ドラマシアター』にて水島総が脚本を担当したテレビドラマ『フィリッピーナを愛した男たち』に出演[9]、12月28日放送の関西テレビ開局35周年記念番組として制作され、久世光彦が脚本を担当し、『キツイ奴ら』(1989年)以来の小林薫との共演となったテレビドラマ『みんな夢の中~ある偽ハマクラ伝』に出演した[10]。 1993年に入り、2月10日には安全地帯としてシングル「ひとりぼっちのエール」をリリース、同曲は日本テレビ系テレビドラマ『お茶の間』の主題歌として使用された[5][11][12]。なお、同曲のリリース後に安全地帯は活動休止となったため、「出逢い」(2002年)のリリースまでは安全地帯として最後のシングルとなっていた。 録音本作の製作は安全地帯の活動休止前より開始されており、玉置が長年録り溜めていたバラードソングを中心に収録されている[13]。この時期に玉置は自らによる作詞に意欲を示していたが、安全地帯としてのデビューからこれまでに作詞の経験は皆無であり、活動の合間を縫って本作の製作を続けていたが作詞が出来ない事から完成が遅れている事態となっていた[14]。玉置はソロで製作する曲では安全地帯の曲とは異なり精神性を重視した言葉を求めていたが、唯一玉置自身の手で完成させた曲は「大切な そのため本作では作詞担当という形で音楽プロデューサーの須藤晃が参加する事となった[15]。須藤は浜田省吾、村下孝蔵、尾崎豊などのシンガーソングライターの作品を数多く手がけていたプロデューサーである[16]。須藤が参加する事になった経緯は、プロデューサーの金子章平とスーパーバイザーの星勝の二人が本作の完成が遅れている事を危惧し、玉置が求める歌詞の方向性を理解した上で須藤を星の事務所に招き、金子がデモテープを渡した事から始まった[17]。 これまで安全地帯や玉置のソロ作品の作詞のほぼ全てを手掛けていた作詞家の松井五郎は、特定のアーティストと長く共作していく時に同じテンションで同じ作法を続ける事は不可能であると語り、当時の松井と玉置は旧知の仲であるからこそコミュニケーションが上手く取れない状態に陥っていたため距離を置いていた事を述べている[18]。また松井はかつて玉置のファーストアルバム『All I Do』(1987年)製作時に「自分が詞を書かないほうがいいんじゃないか」と提案していた事もあり、玉置が須藤と出会った事で刺激を受けたであろう事、さらには松井以外の作詞家の詞を歌う事で後の自身での作詞に繋がった事を指摘している[18]。 音楽性完成した歌詞に関して玉置は「須藤さんの詞は抜群でしたね」と絶賛し、本作収録曲の内1曲がインストゥルメンタル、1曲が玉置による作詞となり、残りの8曲全てが須藤による作詞となった[15]。 須藤はこの時期の玉置がバンドを辞めてソロに移行したがっているように感じた事を述べ、後にリリースされた安全地帯としての活動休止前の最後のシングル「ひとりぼっちのエール」に関しても「積極的ではなかった気がした」と述べている[19]。 また須藤はこれまで玉置がポピュラーな売れ線の曲を手掛けてきた事に対し、本作以降では人生観を綴った作風に変わった事に関して肯定的に捉えており、また須藤自身が玉置を精神的な世界に牽引したという自覚があると語っている[19]。またこれらの出来事が切っ掛けとなり、次作『カリント工場の煙突の上に』(1993年)が製作される事になったとも語っている[19]。 リリース、プロモーション本作は1993年3月24日にKitty RecordsよりCDにてリリースされた。 その後1997年4月25日にCDのみ再リリースされた他、2016年11月23日にはSHM-CD仕様にて、2018年8月15日には紙ジャケット、SHM-CD仕様にて再リリースされた[20][21]。
批評
本作の音楽性に関しては肯定的な意見が挙げられており、音楽情報サイト『CDジャーナル』では、本作を「しみじみ感じさせてくれたバラード集」と位置付けており、「誰にも知られずにひっそり胸に抱いていたい大切なもの」を音楽にした作品であると指摘し、「こういう気持ちって、忘れたくない」と思わせる事や「たとえようもなく暖かい気持ちになれる」などと絶賛した[22]。音楽情報サイト『TOWER RECORDS ONLINE』では、また本作が安全地帯としての活動を休止した直後にリリースされた事を指摘した上で、「玉置浩二ならではの美しいバラードを数多く収めた、名盤の誉れ高き作品」と絶賛した[23]。 チャート成績オリコンチャートでは最高位4位、登場回数は8回となり、売り上げ枚数は15.1万枚となった。 収録曲
スタッフ・クレジット参加ミュージシャン
スタッフ
リリース履歴
脚注
参考文献
外部リンク |