大谷口(おおやぐち)は、松戸市の町名。ここでは大谷口新田(おおやぐちしんでん)についても述べる。
地理及び概要
大谷口
郵便番号は270-0005[2]。
松戸市の北部、JR常磐線・武蔵野線新松戸駅と常磐線北小金駅の中間に位置する。
東側の県道280号や流鉄流山線線路敷などが含まれる地域と西側の武蔵野線及び武蔵野線貨物支線(馬橋支線と北小金支線、武蔵野線#駅一覧の支線の項も参照)線路敷などが含まれる地域の2か所に分かれている。西側は線路敷内のため、人が住んでいるのは東側のみとなる。
大谷口全域は小金城であった為、埋蔵文化財包蔵地となっている。昭和40年代頃までは森林の中に遺構がほぼ完存していたが、重要な城跡にもかかわらず、開発を推し進めた当時の行政や不動産会社により、現在ほぼ全域が住宅街となっている為、徹底的に破壊されたが、城跡の一部が大谷口歴史公園として整備されている[5][6]。
河川
地価
住宅地の地価は、2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば、千葉県松戸市大谷口字外番場356番22の地点で153,000円/m2となっている[7]。
大谷口新田
郵便番号は270-0036[8]。
新松戸と小金の飛び地に挟まれた坂川の一角にある[9][10][注釈 1]。関の橋の南側(下流側)の河川敷内の3500㎡ほどの面積。河川敷内のため、人は住んでいない(河川法参照)。
当地域に関係する施設として大谷口新田稲荷神社(新松戸7-77)がある[11]。
小字
上屋敷通(かみやしきどうり)、中通(なかどうり)、谷下通(たにしたどうり)[12]
歴史
大谷口
戦国時代に、千葉氏の一族から出た高城氏が1537年(天文6年)に[13]大谷口の小金城を築き、東葛飾地方一帯を支配していた。高城胤辰の代には、有名な「国府台合戦」(1564年)で活躍するなど繁栄する。
- 1590年(天正18年)、豊臣秀吉の関東攻めによって小金城は開城する[14]。
- 1699年(元禄11年)4月、下総国葛飾郡大谷口村236石が土屋正克の知行所となる。
- 1965年(昭和40年)頃から開発が始まる。
- 近年(2010年代半ば)まで本城と言われる部分の所々に土塁が残っていたが、地元自治体が小金城の保存に興味が無い様で徐々に残る土塁が減りつつある。
大谷口新田
詳細は各項目を参照のこと。ここでは各項目から一部抜粋した。
世帯数と人口
2020年(令和2年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。大谷口新田については統計が取られていない(統計上0人扱い)。
大谷口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[15]。(詳しい番地については小中学校通学区域を参照のこと)
大谷口
大谷口新田
交通
地区内を武蔵野線と流鉄流山線が通っているが駅はない。最寄り駅は常磐線・武蔵野線新松戸駅、流山線幸谷駅及び常磐線北小金駅、流山線小金城趾駅となる。
道路
一般県道
施設
脚注
注釈
- ^ ゼンリンの地図やゼンリンの地図データを提供されているNAVITIMEなどでは大谷口新田が書かれているが、国土地理院の地図やGoogle マップでは書かれていない。
出典
参考文献
- 大倉邦夫自伝 : 希望に向かいて 出版社 大倉邦夫自伝刊行会
- 千野原靖方「東葛の中世城郭 千葉県北西部の城・館・城跡」(崙書房出版、2004年)ISBN 4-8455-1101-0
- 日本城郭大系 千葉県/神奈川県
- 八木原家文書
- 土屋家文書
- 旧大谷口村名主大熊家文書(松戸市史史料編1)
- 角川日本地名大辞典 12 千葉県
関連項目