TERMINAL (遠藤ミチロウのアルバム)
『TERMINAL』(ターミナル)は、日本のミュージシャンである遠藤ミチロウの5枚目のアルバム。 1987年7月5日にキングレコードより、『オデッセイ・1985・SEX』(1985年)、『破産』(1986年)に続くグロテスク・ニュー・ポップ (G.N.P.) の第三弾としてリリースされた作品。収録曲は、ザ・スターリン時代に演奏されていた曲のリメイクが多く、純粋な新曲は少なくなっている。また、1曲あたりの演奏時間が長くなっており、曲数が少ない作品となっている。 本作は遠藤が新たに結成したバンドパラノイア・スター (PARANOIA-STARR) によって制作されているが、同バンドは2度のライブのみで活動を停止、以降遠藤はもう一つの新たなバンドビデオ・スターリンとしての活動に注力していくようになる。また、それによりグロテスク・ニュー・ポップシリーズも本作で最後となり、遠藤はキングレコードを離れビデオ・スターリンとしてインディーズでアルバムを1枚リリースした後、新生スターリンを結成しアルファレコードへ移籍することとなる。 先行シングルはなく、同日に「LUCKY BOY」がシングルカットとしてリリースされた。 背景前作『破産』リリース後、「G.N.P. TOUR 2 HYSTERIC TO EDEN」と題したライブツアーを5月26日の大阪近鉄劇場小ホールの公演より開始、6月16日の渋谷公会堂での公演まで9都市9公演に亘って実施した[1]。5月20日には蜷川幸雄演出による舞台『オデッセイ・1986・破産』に出演した[2]。5月30日に新宿ロフトで開催された「G.N.P. NIGHT」では二部制となっており、第二部の「ザ・スターリン・ショー」では漫画誌『ヤングマガジン』誌上にて行われた「G.N.P.レーベル新人オーディション」にてグランプリを獲得した「TELL」と共演し、ザ・スターリン時代の曲を演奏した[2]。 8月にはソロとして初となるビデオ作品『Hysteric To Eden』をリリース[3]。8月10日にはスポーツランドSUGOにて開催されたイベントライブ「ロックンロールオリンピック'86」に参加し、「ゲイノー・ブラザーズ」として「The Stalin」(アルバム『THE END』収録)を演奏している模様がNHK総合にて放送された[2]。しかしゲイノー・ブラザーズの活動は短命に終わり、9月13日の日比谷野外音楽堂でのライブイベント「DOORS ARE OPEN」にシークレットゲストとして出演したのが最後となった[2]。 同年11月より、遠藤は「ファンク・フォーク・サウンド」と称してVoice&Rhythmとの共演ライブを重ねるようになり、遠藤のソロ曲以外にもジョニー吉長の「4月のサンタクロース」のカバーや同バンド用に書き下ろした曲なども演奏しており、レコーディングも企画されたが実現しなかった[2]。その後遠藤は新たなバンドの結成を周囲に公言するようになる[2]。 12月21日にはザ・スターリンの4枚目のアルバムであった『Fish Inn』(1984年)を、ビル・ラズウェルプロデュースの元でリミックスされた『Fish Inn (リミックス盤)』がリリースされた[3]。12月27日には泉谷しげるのライブに飛び入り参加した[1]。 1987年に入り、1月21日にはザ・スターリンのコンピレーションアルバム『STALINISM』がリリースされた。同時期に遠藤は新たなバンドメンバーを雑誌などで一般から公募する事となる[4]。公募の結果、MAY(ベース)、SAKAMITSU(ギター)、KUBOTA(ギター)、SHOKO(ドラムス)という布陣でビデオ・スターリン (VIDEO STALIN)を結成する[3]。同バンドはザ・スターリンの曲を演奏し、ビデオ作品のみをリリースする目的で結成された[4]。メンバーは遠藤以外は全てプロ経験のない新人であった[4]。5月3日、4日にはビデオ・スターリンのデビューライブが新宿ロフトにて2日間連続で行われた。 その活動の裏で、遠藤は本作品のために別のメンバーを集め、パラノイア・スター (PARANOIA-STARR) を結成する。メンバーはHOMARE(ギター)、BOY(ドラムス)、斉藤トオル(キーボード)、後に新生スターリンにも参加する事となる西村雄介(ベース)[3]。5月8日には渋谷LIVE INNにて同バンドのデビューライブが実施された[4]。 録音レコーディングは1987年にアバコスタジオおよびスターシップスタジオにて行われ、LAUGHIN' NOSE加入以前のPONを中心に結成されたNASHIに所属していたHOMARE(ギター)、後に新生スターリンに参加しさらに後に北澤組に加入し町田町蔵のバックバンドとして活動した西村雄介(ベース)、SPEEDやE.D.P.S.に所属していたBOY、後にジャジー・アッパー・カットで演奏する事となる斉藤トオル(キーボード)が参加している[5]。 音楽性2008年盤のライナーノーツにていぬん堂は、同時期に結成したビデオ・スターリンがザ・スターリンのパンク的な部分を担当していたのに対して、パラノイア・スターの音楽性は「ダーク・サイドを担った」と述べている[4]。また、収録曲はザ・スターリン時代の曲のリメイクが多くを占めている事に言及している他、Voice&Rhythmとの共演時に制作された「LUCKY BOY」が白眉であると言及している[4]。 芸術総合誌『ユリイカ9月臨時増刊号 総特集*遠藤ミチロウ1950-2019』においてライターの行川和彦は、本作のタイトルの意味が「グロテスク・ニュー・ポップ」の終着点を指していたのではないかと主張、音楽性はパンク・ロック+サイケデリック・ミュージックのようなサウンドとなっており、ドアーズを意識した長尺の曲が中心のダークでヘヴィな内向的な曲で構成されていると指摘した[6]。また、1曲目「飢餓々々帰郷」は本作の5年以上前に遠藤が制作した曲であり、始まりは静かにゆっくりとした曲調であるが後半にはヘヴィ・ラウドな音で加速する展開となっているとし、2曲目「LUCKY BOY」はエイズをテーマとしており、「ポップな曲調ながら、このバンドの個性ゆえに重くパーカッシヴかつタイトな音」であると指摘、3曲目「溺愛」は「このバンドならではの沈む暗い空気感がたまらない出来」と評価、5曲目「誰かが寝ているような気がする」は「たおやかに永眠しそうな流れながらやはりヘヴィ」であると指摘した[6]。 リリース1987年7月5日にキングレコードより、LP、CT、CDの3形態でリリースされた。 1991年2月5日にはCD盤のみ再リリースされ、2008年12月8日にはSHM-CDとしていぬん堂より再リリースされた[7]。 ツアーパラノイア・スターは、ビデオ・スターリンのデビューライブの4日後に渋谷LIVE INNにてデビューを果たし、その後6月27日にインクスティック芝浦ファクトリーでライブを行ったが、結果として2度のライブと本作のみで活動を停止、以降遠藤はビデオ・スターリンとしての活動に注力していくようになった[4]。ライブではザ・スターリン時代の「廃魚」、「M-16」、「水銀」、「FISH INN」、「虫」や遠藤のソロ曲である「おまえの犬になる」、「ブレード・ランナー」、「月のスペルマ」、「POP REVOLUTION」の他にドアーズのカバーである「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」(1968年)、「タッチ・ミー」(1968年)などが演奏された[4]。 批評
収録曲一覧全作詞・作曲: 遠藤みちろう(特記除く)。
曲解説A面
B面
スタッフ・クレジット参加ミュージシャン
スタッフ
リリース履歴
脚注
参考文献
外部リンク
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