1974年の太平洋クラブライオンズでは、1974年の太平洋クラブライオンズの動向をまとめる。
この年の太平洋クラブライオンズは、稲尾和久監督の5年目のシーズンである。
概要
前年青と赤をメインとしたユニフォームに変更し、太平洋1年目を4位で終えたチームはアメリカ・大リーグからフランク・ハワードを、またドラフトで山村善則、鈴木治彦、楠城徹などをそれぞれ補強するなど2年目も戦力増強。しかし、大金をかけて獲得したハワードは太り過ぎからくる膝の故障でわずか1試合の出場に終わり、5月中旬に退団。この年もジム・ラフィーバー獲得の経緯を巡って続いていたライオンズとオリオンズの遺恨は増幅され、4月27日の試合では捕手の宮寺勝利がロッテの金田正一監督に足蹴りされ、宮寺に対する態度に怒ったビュフォードが金田をタックルし、両チームのベンチから選手が出てきて大乱闘に発展。別の試合では太平洋ファンが金田監督の実弟である金田留広(この年日拓から移籍)に酒をかけるなど、マナーの悪さも目立った。チームは遺恨試合効果で前期を勝率5割の3位と健闘するが、ハワードの後釜としてマティ・アルーが加入した後期は借金5で近鉄と同率4位に転落。最終的に2年連続4位に終わり、稲尾監督は責任を取り辞任した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1974年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位
|
4月終了時
|
5月終了時
|
前期成績
|
1位
|
ロッテ |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
2位
|
阪急 |
1.0
|
太平洋 |
2.5
|
ロッテ |
4.5
|
3位
|
太平洋 |
4.0
|
ロッテ |
4.0
|
太平洋 |
6.5
|
4位
|
日本ハム |
4.5
|
近鉄 |
7.0
|
南海 |
7.0
|
5位
|
近鉄 |
5.5
|
日本ハム |
8.0
|
近鉄 |
9.0
|
6位
|
南海 |
6.0
|
南海 |
8.5
|
日本ハム |
12.0
|
|
後期
順位
|
7月終了時
|
8月終了時
|
後期成績
|
1位
|
ロッテ |
--
|
ロッテ |
--
|
ロッテ |
--
|
2位
|
南海
|
南海 |
2.5
|
南海 |
5.0
|
3位
|
日本ハム |
2.5
|
阪急 |
4.5
|
阪急 |
5.0
|
4位
|
太平洋 |
3.5
|
太平洋 |
7.5
|
太平洋 |
10.0
|
5位
|
近鉄 |
4.0
|
近鉄 |
9.5
|
近鉄
|
6位
|
阪急 |
5.0
|
日本ハム |
12.0
|
日本ハム |
15.0
|
|
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
オールスターゲーム1974
できごと
選手・スタッフ
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---|
監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
---|
外野手 | |
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[1][2]
表彰選手
ドラフト
出典
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---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
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2020年代 | |
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1950年オフに西日本パイレーツと球団合併 |