1966年の近鉄バファローズでは、1966年の近鉄バファローズの動向をまとめる。
この年の近鉄バファローズは、岩本義行監督の2年目のシーズンである。
概要
パールス時代の1954年以来Aクラスから遠ざかるチームはこの年からユニフォームをロサンゼルス・ドジャース風のデザインに一新。ホーム用は「Buffaloes」の字体が変更され、ビジター用は「KINTETSU」ロゴがゴシック体になった(この年採用の新ロゴは藤井寺球場最終年の1996年まで使用)。また画家の岡本太郎がデザインした猛牛マークが5年ぶりにユニフォームに戻るなど、イメージチェンジが図られたが評価が二分され、特にビジター用は「高校野球みたいだ」と揶揄されることもあった。ドラフト会議が前年から導入されたことを受け、チームは後の300勝投手・鈴木啓示を2位で指名。鈴木は5月末に初勝利をあげると、1年目から10勝をあげる活躍を見せた。チームは4月を最下位で終えると、同じく開幕ダッシュに失敗した阪急との最下位争いがしばらく続いた。しかし8月以降は大きく負け越して最終的に3年連続の最下位。結局優勝の南海に31ゲーム、4位東京に13ゲームもの大差をつけられた。打撃陣は4番の土井正博を除いてふるわずチーム打率はリーグ5位で、安打・得点もリーグ最下位。ユニフォーム変更もチームのカンフル剤にはならず3年連続の最下位で終わり岩本監督はわずか2年で辞任。後任にはチーム生え抜きの小玉明利が選手兼任ながら監督に就任した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1966年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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最終成績
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1位
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西鉄 |
--
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南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
2位
|
東映 |
1.0
|
東映 |
4.5
|
西鉄 |
1.0
|
西鉄 |
1.5
|
西鉄 |
3.5
|
西鉄 |
4.0
|
3位
|
南海 |
1.0
|
西鉄 |
5.0
|
東映 |
2.0
|
東映 |
3.5
|
東映 |
5.5
|
東映 |
9.0
|
4位
|
阪急 |
3.5
|
東京 |
8.0
|
東京 |
8.5
|
東京 |
10.5
|
東京 |
12.0
|
東京 |
18.0
|
5位
|
東京 |
4.5
|
近鉄 |
10.5
|
阪急 |
10.5
|
阪急 |
13.0
|
阪急 |
14.5
|
阪急 |
22.0
|
6位
|
近鉄 |
5.0
|
阪急 |
11.0
|
近鉄 |
11.0
|
近鉄 |
13.5
|
近鉄 |
21.5
|
近鉄 |
31.0
|
[1]
オールスターゲーム1966
できごと
選手・スタッフ
[2][3]
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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