1864年アメリカ合衆国大統領選挙United States presidential election, 1864
州別獲得選挙人分布図 リンカーン マクラレン 選挙に参加しない南部連合 州 選挙人の出せない準州
1864年アメリカ合衆国大統領選挙 (1864ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語 : United States presidential election of 1864 )は、1864年に投開票されたアメリカ合衆国大統領選挙 (第20回)であり、現職のエイブラハム・リンカーン が勝利を収めた。
概要
リンカーンは共和党 員であったが、タカ派民主党 (英語版 ) と選挙協力を組んだ。この協力は国民統一党 (英語版 ) という形を取った。
リンカーンの対立候補は、民主党 のジョージ・マクレラン と急進派共和党 のジョン・C・フレモント であった。マクレランは「平和の候補者」であったが、個人的には党の綱領を信じていなかった。フレモントは郵政長官 のモンゴメリー・ブレア をその役職から追い出す政治的な仲立ちをした後、1864年9月に選挙運動を止めてしまった。
1864年の大統領選挙は南北戦争 がまだ終わっていない時に行われ、アメリカ連合国 に加入した州はどこも参加しなかった。
国中の共和党員は1864年の夏時点で苛立っていた。この頃、アメリカ連合国軍(南軍)はマンスフィールドの戦い やクレーターの戦い で勝利を収めていた。さらにこの戦争は多くの代償を払い続けていた。長く果てしない戦争に対して、民主党の主張する「和平交渉」がより望ましいものと見られるようになっていた。しかし、当時の民主党は党員集会で内部の厳しい軋轢を経験していた。
最終的にウィリアム・シャーマン がアトランタ に進軍し、ユリシーズ・グラント は南軍陸軍総司令官のロバート・E・リー をその首都リッチモンド の外郭に押し込めていた。北軍が勝つことは間違いなく終戦が近付いていることが明らかになってきた。
リンカーンと副大統領候補のアンドリュー・ジョンソン の組は「流れの途中で馬を変えるな」をスローガンにして進んだ。共和党は名前を「国民統一党」に変えて、タカ派民主党に訴えた。新しい名前は選挙後に消えた。しかし、ジョンソンが共和党員となることは無かった。
共和党すなわち国民統一党は、民主党をできるだけ悪く表現することに全力を注いだ。マクレランの平和主義的綱領を冷やかし、民主党を不実なマムシと非難した。11月8日 、リンカーンは一般投票で40万票以上の差を付け、選挙人の獲得数でも多数となった。幾つかの州では兵士として従軍している市民が戦場で投票することを認めたが、これはアメリカの歴史でも初めてのことだった。北軍の兵士の70%以上がリンカーンを選んだ。
候補者の指名
国民統一党
エイブラハム・リンカーンが共和党の候補者に指名された。共和党は1864年の選挙に限り国民統一党と名前を変えたので、一時的ではあるが存在しなくなっていた。しかし、リンカーンの指名は全会一致ではなく、リンカーンに不満な反対者22名は候補者でもなかったユリシーズ・グラントに投票した。統一の旗の下でタカ派民主党と協力していく機会と見た党員集会は、テネシー州 知事のアンドリュー・ジョンソンを副大統領 候補に指名した。副大統領候補は他にも現職のハンニバル・ハムリン 、元ニューヨーク州 選出上院議員ダニエル・ディキンソン、ブキャナン の内閣の閣僚ジョセフ・ホルト およびベンジャミン・バトラー がいた。ハムリン以外はタカ派民主党員であった。
国民統一党のポスター。1864年
民主党
民主党の候補者
民主党はタカ派と反戦マムシ派に大きく分かれていた。妥協の産物として戦争遂行派のジョージ・マクレランが反戦綱領と共に指名された。マクレランが投票で他の3候補を破り、副大統領候補にはジョージ・ペンドルトン (英語版 ) が平和綱領で指名された。しかし、マクレランは個人的にはこの綱領を拒否していた[ 2] 。
一般選挙
この選挙は戦争中に行われたが、1812年 の米英戦争 の時以来のことだった。北軍がジョージア州 とバージニア州 で勝利し、続いてフレモントが急進派共和党の候補から辞退したことで、マクレランの勝利の可能性は消えていった。
国政選挙の行方は大統領選挙の前数ヶ月の州別の選挙で現れていた。オレゴン州 (6月5日)、バーモント州 (9月6日)、メイン州 (9月11日)、オハイオ州 とペンシルベニア州 (10月10日)およびウエストバージニア州 (10月26日)の6州では国民統一党が圧倒的な勝利を収めた。これら6州から国民統一党はアメリカ合衆国下院に44名を送り、対抗する民主党は10名に過ぎなかった。純増は18議席だった。リンカーン再選のお膳立ては出来ていた。
結果
この選挙では24州のみが参加し、アメリカ連合国に加盟していた11州は加わらなかった。ネバダ州 、ウエストバージニア州 およびカンザス州 が州に昇格して初めて参加した。戦後の処理を行っていたテネシー州とルイジアナ州 は選挙人を選出したが、アメリカ合衆国議会はその投票を算入しなかった。なお、ネバダ州の選挙人のうち1人は投票しなかった。
州ごとの結果
出典: Walter Dean Burnham , Presidential ballots, 1836–1892 (Johns Hopkins University Press, 1955) pp. 247–57.
リンカーン /ジョンソン が勝利した州
マクレラン /ペンドルトン が勝利した州
エイブラハム・リンカーン 国民統一党
ジョージ・マクレラン 民主党
州計
州
選挙人数
#
%
選挙人数
#
%
選挙人数
#
カリフォルニア州
5
62,053
58.6
5
43,837
41.4
-
105,890
100
コネチカット州
6
44,673
51.4
6
42,285
48.6
-
86,958
100
デラウェア州
3
8,155
48.2
-
8,767
51.8
3
16,922
100
イリノイ州
16
189,512
54.4
16
158,724
45.6
-
348,236
100
インディアナ州
13
149,887
53.5
13
130,230
46.5
-
280,117
100
アイオワ州
8
83,858
63.1
8
49,089
36.9
-
132,947
100
カンザス州
3
17,089
81.7
3
3,836
18.3
-
21,580
100
ケンタッキー州
11
27,787
30.2
-
64,301
69.8
11
92,088
100
メイン州
7
67,805
59.1
7
46,992
40.9
-
114,797
100
メリーランド州
7
40,153
55.1
7
32,739
44.9
-
72,892
100
マサチューセッツ州
12
126,742
72.2
12
48,745
27.8
-
175,487
100
ミシガン州
8
91,133
55.1
8
74,146
44.9
-
165,279
100
ミネソタ州
4
25,031
59
4
17,376
41
-
42,407
100
ミズーリ州
11
72,750
69.7
11
31,596
30.3
-
104,346
100
ネバダ州
2
9,826
59.8
2
6,594
40.2
-
16,420
100
ニューハンプシャー州
5
36,596
52.6
5
33,034
47.4
-
69,630
100
ニュージャージー州
7
60,724
47.2
-
68,020
52.8
7
128,744
100
ニューヨーク州
33
368,735
50.5
33
361,986
49.5
-
730,721
100
オハイオ州
21
265,674
56.4
21
205,609
43.6
-
471,283
100
オレゴン州
3
9,888
53.9
3
8,457
46.1
-
18,345
100
ペンシルベニア州
26
296,292
51.6
26
277,443
48.4
-
573,735
100
ロードアイランド州
4
14,349
62.2
4
8,718
37.8
-
23,067
100
バーモント州
5
42,419
76.1
5
13,321
23.9
-
55,750
100
ウェストバージニア州
5
23,799
68.2
5
11,078
31.8
-
34,877
100
ウィスコンシン州
8
83,458
55.9
8
65,884
44.1
-
149,342
100
合計:
233
2,218,388
55
212
1,812,807
45
21
4,031,887
100
出典 (一般投票): Leip, David. "1864 Presidential Election Results" . Dave Leip's Atlas of U.S. Presidential Elections . 2005年7月27日閲覧 。
出典 (選挙人投票): "Electoral College Box Scores 1789–1996" . アメリカ国立公文書記録管理局 . 2005年7月31日閲覧 。
接戦だった州
赤字は国民統一党、青字は民主党が勝利したことを示す。
得票率差1%未満 (選挙人数33):
ニューヨーク州 0.92% (選挙人数33)
得票率差5%未満 (選挙人数35):
コネチカット州 2.76% (選挙人数6)
ペンシルベニア州 3.51% (選挙人数26)
デラウェア州 3.62% (選挙人数3)
脚注
関連項目
参考文献
Harold M. Dudley. "The Election of 1864," Mississippi Valley Historical Review , Vol. 18, No. 4 (Mar., 1932) , pp. 500-518 full text in JSTOR
David E. Long. Jewel of Liberty: Abraham Lincoln's Re-election and the End of Slavery (1994)
Merrill, Louis Taylor. "General Benjamin F. Butler in the Presidential Campaign of 1864." Mississippi Valley Historical Review 33 (March 1947): 537-70 full text in JSTOR
Nelson, Larry E. Bullets, Ballots, and Rhetoric: Confederate Policy for the United States Presidential Contest of 1864 University of Alabama Press, 1980.
Nevins, Allan. Ordeal of the Union: The War for the Union vol 8 (1971)
Randall, James G. and Richard N. Current. Lincoln the President: Last Full Measure . Vol. 4 of Lincoln the President. 1955.
Vorenberg, Michael. "'The Deformed Child': Slavery and the Election of 1864" Civil War History 2001 47(3): 240-257. ISSN 0009-8078 full text in JSTOR
Jack Waugh Reelecting Lincoln: The Battle for the 1864 Presidency (1998), a popular study
White, Jonathan W. "Canvassing the Troops: the Federal Government and the Soldiers' Right to Vote" Civil War History 2004 50(3): 291-317. ISSN 0009-8078
一般選挙に関する出典:David Leip、[1] [2] (2005年7月27日)
選挙人選挙に関する出典:Electoral College Box Scores 1789?1996 Official website of the National Archives (2005年7月31日)
外部リンク
本選 予備選
用語 関連項目 その他
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