鷲田土三郎鷲田 土三郎(わしだ つちさぶろう、1858年11月19日(安政5年10月14日[1])- 1929年(昭和4年)10月27日[1][2])は、明治から昭和初期の薬剤師、実業家、政治家。衆議院議員、福井県会議長。 経歴越前国足羽郡福井木田中町[1][3](福井県[2]足羽郡福井木田中町、福井市[3][4]木田中町[1]を経て現:福井市西木田3丁目[1])で、茶商、薬種業・鷲田杏菀の長男として生まれた[1]。1871年12月2日(明治4年10月20日)に家督を相続した[1]。1881年(明治14年)東京大学医学部製薬学科を卒業した[注釈 1]。 1882年(明治15年)福井県医学校教諭に就任[1][2][3][4]。福井市豊(みのり)学区会議員、福井市会議員、同参事会員を務めた[1][2][3][4]。1897年(明治30年)9月、福井県会議員に選出され[3]、1903年(明治36年)9月まで2期在任し、第16代県会議長(1899年10月-1903年9月)も務めた[1][3]。この間、福井市の遊興地を栄新地に集約し、九頭竜川改修工事を推進した[1][3]。その他、所得税調査委員、営業税審査委員なども務めた[2]。 1908年(明治41年)5月、第10回衆議院議員総選挙(福井県福井市)で当選し[1][5]、衆議院議員に1期在任した[2][4]。 実業界などでは、福井商業会議所会頭、福井県薬剤師会長、福井市教育会長、県労資協調会長、福井日報社長、北陸製薬社長などを務めた[1][2][3][4]。また、1925年(大正14年)日本赤十字社福井病院(現福井赤十字病院)、大和紡績福井工場の誘致について、期成同盟会長として尽力した[1][3]。 国政選挙歴
脚注注釈出典参考文献
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