高橋健二 (レーサー)高橋 健二(Kenji Takahashi、たかはし けんじ、1946年5月18日 - 2005年1月1日)は、東京都出身の元レーシングドライバー。全日本F2選手権、富士GCシリーズ、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)、全日本ツーリングカー選手権(JTC)などで活躍、1997年に現役引退。 経歴1969年、高橋はマイナーツーリング(富士グランチャンピオンシリーズと併催のツーリングカーレース)にフェアレディ・2000でデビューし、東名自動車チューンのフェアレディZや日産・サニー使いとして知られ、1973年の富士マイナーツーリングではFR車のサニー・クーペに乗る高橋と、FF車のチェリー・クーペに乗る日産ワークス[1]の星野一義が毎戦競い、高橋がシリーズチャンピオンを獲得。 フォーミュラでは1975年までFJ1300に参戦、松本恵二とはFJ時代から同時期参戦した。1976年に当時の国内フォーミュラー・トップカテゴリーである全日本F2000選手権(F2の前身)にステップアップ、1980年からF2にタイヤ供給を開始したADVAN(横浜ゴム)の顔を高橋国光とともに務めた[2]。1982年第2戦富士でADVANタイヤのF2初優勝を高橋がもたらした[3]。タイヤ性能・構造開発も担い、1984年にADVAN・ノバから全日本F2にフル参戦したステファン・ヨハンソンも「ケンジさんがこれって言うタイヤなら間違いない」と信頼を寄せた[4]。 以後、1986年まで11年間全日本F2選手権に参戦。富士グランチャンピオンレースには1988年まで参戦した。トップフォーミュラがF2からF3000へ移行され、ちょうど40歳だったこともありこれを機にフォーミュラを引退。以後は全日本F3000テレビ中継(CBCテレビ製作)の解説を担当した。 JSPCでは高橋国光とコンビを組み活躍し、1985年と1986年にチャンピオンを獲得[5]。1987年のル・マン24時間レースでは、マイナーツーリング時代からの戦友である松本恵二・星野一義と共に出場した。 その後はJTC(全日本ツーリングカー選手権)に日産・スカイラインやBMW・M3で出場し、1989年にはチャンピオンを獲得。また、1990年から投入される日産・スカイラインGTーR(BNR32)型の開発ドライバーを務め、1991年はタイサンからGTーRで土屋圭市とコンビを組み参戦、チームランキング3位を獲得した。このGT-R(R32型)では、1993年のN1耐久シリーズにもエンドレス・ADVANスカイラインで2レース参戦している。 1996年から全日本GT選手権・GT300クラスにポルシェ・993Sでフル参戦。51歳を迎えるシーズンとなった1997年10月26日開催の全日本GT最終戦・SUGOラウンドをクラス11位完走、これが現役最後のレースとなった[6]。 2005年1月1日、肝硬変により死去(享年58歳)。ADVANで長くコンビを組んだ高橋国光は葬儀に参列した際、「僕の出身が小金井で健二が三鷹なので、家が近かったこともあってコンビを組む前から親しかったんです。レースではいつも僕を立ててくれて、いいやつでした。」と後輩の早い死を悔やむコメントで偲んだ。 レース戦績
FJ1300
全日本F2000選手権 / 全日本F2選手権
マカオグランプリ
全日本耐久選手権/全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権
ル・マン24時間レース
全日本ツーリングカー選手権
N1耐久シリーズ
全日本GT選手権
関連項目脚注出典
外部リンク |