高岩成二
高岩 成二(たかいわ せいじ、1968年11月3日[2][3][4][1] - )は、日本の俳優、スタントマン、スーツアクター。 ジャパンアクションエンタープライズ(旧・ジャパンアクションクラブ)に所属していた。主に東映製作のスーパー戦隊シリーズや仮面ライダーシリーズなどの特撮テレビドラマシリーズの主役ヒーローのスーツアクターを担当。 埼玉県出身[2][1]。身長175センチメートル[2]。妻は元女優の村上利恵。 略歴テレビの映画CMで視た真田広之に憧れ[5] 、高校在学中の16歳の時にジャパン・アクションクラブ(JAC、現・ジャパンアクションエンタープライズ、JAE)の養成所に入所した[4]。JACでは16期生にあたり、同期には横山一敏、今井靖彦、竹内康博、村岡弘之、大林勝、辻本一樹などがいる[6][4][7][8]。 養成所卒業後、後楽園ゆうえんち(現・東京ドームシティアトラクションズ)野外劇場のアトラクションショーで『光戦隊マスクマン』のアングラー兵[9]、後にブラックマスクを担当し、2年目からは『超獣戦隊ライブマン』のレッドファルコンで初めてレッド役を経験[10]、以後『五星戦隊ダイレンジャー』までの7年間、後楽園ゆうえんちのショーに出演した[4][7]。テレビでは『仮面ライダーBLACK RX』のライダーマン役などを務めた[7]。 1992年、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』のドラゴンレンジャー役で本格的なスーツアクターを務める(ノンクレジット)[4][7]。 1994年、ヒーローショーの演出も担当していたアクション監督の竹田道弘の招きで[11]、『忍者戦隊カクレンジャー』ニンジャレッド役で、初めて主役のスーツアクターを務めた[4]。 1995年、メタルヒーローシリーズ『重甲ビーファイター』でブルービート(アクション)を担当[4]。 1996年、『ビーファイターカブト』でもビーファイターカブト(アクション)を担当したほか、フリオ・リベラ / ビーファイターゲンジ役で出演[4]。スーツアクターだけでなく、変身前の姿も演じた[4][7]。 1998年、『星獣戦隊ギンガマン』のギンガレッド役で再びレッド役(主役)を務める[7]。同年5月には、『カクレンジャー』で共演した女優の村上利恵と結婚。スーパー戦隊シリーズのレッド役は、『ギンガマン』から『未来戦隊タイムレンジャー』(2000年)まで3作品連続で務めた[7]。 2001年に『仮面ライダーアギト』で主役・仮面ライダーアギトのスーツアクターを務め、以降平成仮面ライダーシリーズでは第6作『仮面ライダー響鬼』を除く全作品の主役ライダーを演じている[4][7]。 2005年、『魔法戦隊マジレンジャー』で5年ぶりにレッド役を務めた[7]。 2007年、『仮面ライダー電王』に出演。同作ではモモタロスのスーツアクターを務めたほか、人格の異なる仮面ライダー電王の全フォームを演じ分け、高い評価を受けた(詳細は後述)。 2010年2月には、JAE所属俳優による音楽ユニット「J-MEN」に参加[注釈 1]。1stシングル「限界Revolution」で歌手デビューを果たしている[12]。 近年[いつ?]ではスーツアクターを目指す人や一般の人々を対象としたアクションのワークショップを不定期に開講し、アクションを身近に感じてもらう取り組みを行っている。 2021年10月31日、同日を持って35年間所属していたJAEとの所属契約を満了し、フリーとして活動することを報告した[13][14]。 2022年4月、坂本浩一が監督を務めるWeb配信ドラマ『グッドモーニング、眠れる獅子』にて顔出しで初主演を務めた[15]。同作では実子である高岩芯泰も出演している。 人物兄と妹がいる[1]。 父親は平凡なサラリーマンだったが、土日は接待ゴルフ、平日は仕事終わりの吞み会と、家を不在にすることが多く、幼少期は、母親と兄妹、祖父母の6人で過ごすことが多かった[16]。 好きな食べ物は梅干しとサクランボ。嫌いな食べ物は固形チーズ[1]。好きな色は黒[1]。趣味は食べ歩き、特技は剣道、柔道[17]。千葉真一より倉田保昭派[18]。 スポーツ全般は得意だが、持久走だけは苦手[19]。高所恐怖症である[20]。 世界観に踏み込めず、自身を投影できないという理由でSFに興味がなく、スター・ウォーズシリーズも一切鑑賞したことがない[21]。 仕事柄、路上観察が癖づいており、夢中になり過ぎて妻によく怒られている[22]。 スタイル平成仮面ライダーシリーズで最も多く主人公ライダーを担当しているが、作品毎にきっちりアクションスタイルを使い分けているほか、特に『仮面ライダー龍騎』以降は細かい仕草なども含めて変身前の人物描写との一体性を高めることを重んじた役作りを行うなど、演技力の高さも評価されている。本人の談によれば、このように変身前の人物を演技に取り入れたのは『電磁戦隊メガレンジャー』のメガブルー役が初だが、それまでレッドを戦隊の中心として重々しい存在と考えていた高岩にとって、メガブルーはレッドでないからこそできた演技であり、後に『救急戦隊ゴーゴーファイブ』でゴーレッド役を演じたときには、一般人が変身という設定だったため、人間味を主体とした演技を心がけることができたという[7][23]。後にスーパー戦隊シリーズで多くのレッド役を演じることになった福沢博文は、自分がレッド役を引き受け始めたころには、高岩によって昔ながらのレッドのイメージは薄れ、彼ならではのレッドのイメージが確立されていたと語っている[23]。また、高岩が戦隊シリーズに出演するようになった90年代の後半ごろまで、顔出しの役者とスーツアクターとの芝居の整合性は、脚本に合わせて喜怒哀楽を大まかにすり合わせる程度であったという[24]。 『救急戦隊ゴーゴーファイブ』以降、主役俳優とコミュニケーションを取って演技の擦り合わせを行うことで、キャラクターの整合性を図っている。尚、演技を擦り合わせる際は、演技に入る前のプライベート部分を参考にすることがあり、プライベート時の仕草を自身の演技に採り入れることで、より雰囲気が出るよう工夫している。また、擦り合わせる役者については、高岩の方から話しかける方針を採っており、1~5話まで様子を見た上で突っ込んだ話は避け、役者自身の試行錯誤が終わった2クール目から細かい部分を含めた擦り合わせを行うように心掛けている[25][26]。 平成ライダーを演じる際は、変身前の俳優の所作や癖を把握して、キャラクター像を創り上げる役作りを行っている[27]。 アクション・演技の心得
エピソード幼少時代一番古い記憶は幼稚園の頃で、勝手に歩き回っては公園の噴水に落ちて溺れかけるなど、手のかかるやんちゃ坊主だったが、両親からは特に咎められず、親の教育方針は緩かった。この時期に視聴していた特撮番組は『仮面ライダー』や『スペクトルマン』、『怪傑ライオン丸』、『秘密戦隊ゴレンジャー』で、等身大のヒーローが好きだったこともあり、ヒーローごっこで良く真似たのは、仮面ライダーとゴレンジャーだった。仮面ライダーでは一文字隼人がお気に入りで、ごっこ遊びでは、彼が変身する仮面ライダー2号になりきることが多く、反対に本郷猛が変身する仮面ライダー1号については、当時視聴していた記憶が余りないという。同時期はアクションドラマも良く視聴しており、エンディングのクレジットに記載された「アクション/JAC」の文字を見てはいたものの、後述する映画『忍者武芸帳 百地三太夫』を観るまで、JACの存在を把握することはなかった[31]。 幼稚園の年長頃から兄と共に剣道を習い始めたが、低身長ゆえに、高身長の相手から故意に試合で後頭部を打撃されるなどのパワハラを受けたため、父親に辞めたいと訴えたところ、父親の口癖だった「何をやっても3年は続けろ」と諭され、言葉通りに3年間は稽古を続けたが、有段者にはなれなかった。しかし、習得した剣道の知識は、後にアクションを行う際の糧となったという。また、スーツアクターを目指す際も、父親から前述の言葉をかけられたと述懐している[32]。 学生時代小学生の頃はスタントマンか体育教師になりたいと考えていたが、小学6年生の時に真田広之の主演作『忍者武芸帳 百地三太夫』を観てJACの存在を知り、中学時代はテニス部だったが、部活動をサボっては同級生とチャンバラごっこに明け暮れ、この頃からアクション俳優(スタントマン)を志すようになった[5][4]。JAC創設者の千葉真一が器械体操出身であったこと、バク転が出来ないと入所できないとの思い込みから[33]、高校時代はJACの養成所と平行して器械体操部に所属していた[4]。 高校在学時にJAC入所を志すも、方法が分からず、偶然本屋で見つけたオーディション雑誌の募集を読み、友人を伴って直接、事務所を訪れた。スタッフに応募方法を教わり、帰宅後に両親へ相談すると、受かると思われず、あっさり賛同されたという。当日は応募者3000人が集まった会場のとしまえんで、運動や発声、面接(志穂美悦子が担当[34])などの審査に臨み、合格を勝ち取る。私立高2校に通えるほど高額な入所金に両親は反対したものの、兄の賛同もあり、「25歳までに芽が出なければ辞める」条件で、高校2年から学校と掛け持ちで養成所へ通うことになった[35]。 JAC・JAE時代学業優先という親との約束を守り、平日は高校と体操の部活、休日の日曜日に丸1日かけて養成所のカリキュラムを受講する日々を送った。1年目の基礎練習を終え、2年目から本格的なアクションを井上清和や崎津隆介、沢田祥二、春田純一などから、発声を島田敬穂などから学んだが、夢中になったのは演技講習で、演劇研究所の講師の指導を聴きながら、スタジオ床にノートを広げて必死にメモを取るほどだったという。最終的にオーディションに合格した後、JAC16期生として正式入所となる[36]。 入所した直後、新人だけを集めた仕事を早速振られ、内容も聞かずに「やります!」と挙手したことから、当時は不人気だった後楽園ゆうえんち野外劇場のアトラクションショーに出演することになり、「しまった!」と心の中で叫んだものの、スタッフに連れられ見学することになった。そのため、俳優科を希望していた当初はスーツアクターをやりたくなかったという。しかし、高所から飛び降りるスタントや、走行中のジェットコースター上で立ち回る擬闘にカッコ良さを感じ、「嫌になったら辞めたら良い」と軽い気持ちで『光戦隊マスクマン』のアングラー兵役でデビューした[37][38]。 ヒーローショー『光戦隊マスクマン』ショーでは、同期の中で唯一、メインヒーロー役で抜擢されたが、これはレッド役の岡元次郎が『仮面ライダーBLACK』に出演するために離脱するなどして枠が空いたことによるもので、当初は別の同期がブラックマスクを担当したものの、大顔で面が合わず、高岩に変更された[10]。後に高岩は「運が良かった」と述懐している[7]。しかし、高岩は同番組を見ていなかったことから演技がわからず、必死に頭を下げて先輩たちから段取りや約束事を教わるも、演出を担当していた山岡淳二からは叱責されたという[4][10]。 『超獣戦隊ライブマン』ショーでは、前任者の先輩が抜け、偶然に体格が似ていたことから、レッドファルコン役の後任として抜擢される。戦隊のヒーローショーにて、アクター歴2年目でレッド役になるのは事例は異例の早さだという[10]。 客の反応を目の当たりにでき、満員時には子供の大歓声の中で、殺陣やピンマイクでの芝居ができるヒーローショーのライブ感に魅了され、7年間続けたが、ショー終了後の握手会も重要な仕事で、10分の休憩時間で、握手用の手袋交換や水分補給、マスクの冷却をやるという過酷さだった。また、客入りの多い日には握手会だけで1時間半かかり、夏休みや祝日には、平日1回の公演が4~5回行われ、その度に握手会が開催されるために、準備の合間にうどんを口にするしか食事の手段がなかったという[39]。 平成仮面ライダーシリーズ平成仮面ライダーシリーズには、2001年の『仮面ライダーアギト』から2018年の『仮面ライダージオウ』まで参加した[40]。同シリーズでは『クウガ』『響鬼』を除くすべての主役ライダーを担当していることから、ミスター平成ライダーの異名をもつ[3][4][40]。体力的に一番充実していたのは『電王』(2007年)~『ディケイド』(2009年)の時期で、『ドライブ』(2015年)『ゴースト』(2016年)の頃には衰えを感じ、後輩に任せたいと思うようになったという[41]。 平成仮面ライダー最終作となった『ジオウ』を節目として主役ライダーのスーツアクターを勇退し、後作品である『仮面ライダーゼロワン』では、主役ライダーのスーツアクターを縄田雄哉が新たに担当しているが、高岩が『ゼロワン』にも引き続き関わることは当初から告知されており、第4話から登場した仮面ライダー滅のスーツアクターを担当している。 事務所を退所して以降は、スーツアクターとしての仕事が途絶えているが本人曰くオファーが来れば主役でも悪役でもいつでもやりたいとのこと[42]。 仮面ライダーアギト『未来戦隊タイムレンジャー』に出演中、事務所から「来年は仮面ライダーをやってもらうから」と連絡があり、納得が行かず『タイムレンジャー』のアクション監督だった竹田道弘に「僕、クビですか?」と食って掛かった。結局、『仮面ライダークウガ』で主役を演じた富永研司が辞退したことによる後任抜擢だと判明したものの、戦隊シリーズの雰囲気に馴染んだこともあって、当初は『アギト』の出演には不満だったという。『アギト』の時点ではスーパー戦隊シリーズで磨いたナチュラルな芝居が過剰表現として捉えられ[43]、監督の金田治に「動かない芝居」を教えられたと述べている[4][40]。 『アギト』で一番悩まされたのは、顔出しの役者との掛け合いで、アフレコ作業の関係上スーツアクターは喋れない制約があったため、顔を動かさずに体の向きだけで台詞を終えた合図を相手に伝える工夫を行ったものの、現場から「動きすぎ」と指摘され、開き直りで微動だにしない態度でOKを貰うこともあった[30]。 『アギト』はビデオ撮影だったため、フィルムと違って、コマの速度を上げてスローや早回し等の調整を行うことができず、スーツアクターの動きがそのまま作中に反映されるため、アクション監督の判断でカット割りを細かくして、アクションの冗長さを抑える手法が採られたが、同じ動きを何度も繰り返すため、それ相応の負担となった。またアギトのスーツは、アップ用がウェットスーツ、アクション用が伸縮性のあるゴム素材で出来ていたが、戦隊シリーズのスーツに比べ動き辛く、甲冑系のパーツが体に当たると痛みが伴う上に、熱も籠りがちで、夏は暑く、冬は寒い代物であったという[44]。 『アギト』は「アクションより芝居が濃密だった」と、後年に感想を述べており、この時期からスタッフの撮影に対する認識の変化もあって、スーツアクターも人間の芝居を求められた結果、一般向けのドラマを撮っている気持ちで撮影に臨んだと述懐している[45]。 『グッドモーニング、眠れる獅子』の座談会でのインタビューにおいて、一番好きな自身が演じたライダーを決めて欲しいとの質問を受けた際には、悩みに悩んだ末に『アギト』を挙げている[46]。 仮面ライダー龍騎『アギト』では変身前後でキャラクター性が切り替わることから細かい芝居の表現はなかったが、2002年の『仮面ライダー龍騎』からは変身前後でのキャラクターのリンクを意識するようになったという[4]。第1話の龍騎ブランク体が発した「折れたァ!!」のセリフも本人のアドリブであり、これで監督も真司役の須賀貴匡も真司のキャラをつかむきっかけになったと語っている[47]。 『龍騎』では、TVSPや劇場版を含めて13人の仮面ライダーが登場するため、個々のキャラクターの特色を出すための芝居の付け方が大変だったが、スーツアクターとしての方向性が見え始めた作品でもあったという[48]。 仮面ライダー555『仮面ライダー555』でジェットコースターに乗るシーンを撮影した際には、乾巧役の半田健人も同じく高所恐怖症で乗ることができず、代理を頼まれて苦労したという。後楽園野外劇場のジェットコースターでの登場[注釈 2]も苦労の連続だった[4]。マスクを被っていると視界が狭まるので助かると述べている[2]。 演じて難しかった役として、『555』で木場勇治が変身した仮面ライダーファイズを挙げている。アクションシーンで木場が変身するファイズがどうしても表現できず、監督の石田秀範から「それは巧だ!」と何回もダメ出しを受け、この時の石田監督は非常に怖かったと振り返っている[47]。 本人は「ブレイドのような型にはまった感じのアクションよりも龍騎、ファイズのようながむしゃら系の動きのほうが得意」とも語っている[要出典]。 『555』の撮影途中には父が危篤となり、アクション監督の宮崎剛らをはじめとするスタッフから「(ファイズ役は)代役でなんとかするから(父のもとへ)帰れ」と勧められたが、「ロケーションと合成の演技が、違和感なくつながるように」と頑なに断って撮影参加を続行したため、父の臨終には立ち会えなかった[49]。 2008年には、高岩の身体を三次元スキャンしたデータから作られた世界555体限定のファイズのフィギュアが発売された[50]。 仮面ライダー電王特筆すべきは2007年の『仮面ライダー電王』で、レギュラーキャラクターであるモモタロスのキャラクター造形に大きく貢献し、キャラクター人気の盛り上がりに一役買った。また、モモタロスが憑依した設定の電王ソードフォームだけでなく、人格が異なる電王7フォームもほぼ1人で演じ切った[4]。このことについて、本人はインタビューで「(電王では)20年近いキャリアの引き出しをすべて使い切った。もう振っても何も出ない」と冗談交じりに述べている[4]ほか、モモタロスについても一から作り上げた役ゆえに特別である旨を述べており、『ディケイド』以降にモモタロスが客演して主役ライダーと同じ場面で映るシーンでも、監督からモモタロスの方を指名されるという[51]。 プロデューサーの白倉伸一郎からは当初、「主人公に4人の化け物が憑依して、色々と人格が変わる」という説明があり、「これは厄介だな」と、直感的に難役だと感じ、4人の化け物(イマジン)の内、モモタロスの声を演じる関俊彦の収録テストに立ち会ってイメージを膨らませ、モモタロスのキャラクター性を自身で創り上げた後、電王に変身する野上良太郎役の佐藤健へ、「チンピラではないが、ガサツでガラが悪そうな感じ」というモモタロスのキャラ設定を、自演を交えて伝える流れで芝居の擦り合わせを行った[26]。 モモタロスのデザインはディティール優先で、スーツはアクション向きでなく、電車内でのコメディ風な小競り合いも、当初はアクションを余りさせない方向だったが、変身前の主人公が「最弱ライダー」という肩書き上、賑やかし役を怪人役のスーツアクターが一手に引き受けることとなり、これが予想外の好評を受けて、出番が回を追うごとに増えて行った。撮影現場では高岩を含めたスーツアクターのアイディアやアドリブが次々と採用され、基本は台本通りに進行しつつ、半分はアドリブで占められる状況に、監督たちも次第に演出を丸投げするようになったが、現場でのアドリブは演じ方も含めてスクリプターが全て記録して、アフレコを行う声優たちに報告されたため、全容を把握した声優陣によって、さらに磨かれた芝居として昇華し、面白さは加速度的に増したという[52]。 上記の理由で、本作での拘束時間は従来の平成ライダーより長いものとなったが、その分、顔出しの役者たちとの連帯が取れてチームワークは抜群であったという[53]。 仮面ライダーゴースト『仮面ライダーゴースト』では、仮面ライダーゴーストのスーツアクターのほかに顔出しで敵幹部ジャイロ役も演じた[54]。プロデューサーの高橋一浩からはゴースト役を優先するよう指示されていたため、変身前はジャイロとして天空寺タケルと戦った後、変身後はゴーストとしてジャイロが変身した怪人と戦うという複雑な撮影となった[54]。また、平成仮面ライダーシリーズで顔出しレギュラーを演じるのは初めてであったため、ファンの間では「高岩が特撮の現場を降りるので花を持たせるための役ではないか」と噂されていた[54]。 仮面ライダージオウ仮面ライダージオウの主役に起用された時には50歳を迎えていたが、主役の年代設定が高校生で、流石に無理を感じるようになった。特にシリアスな場面を演じる際、高校生らしい動きが表現ができず、50歳の風格が無意識に滲み出るため、役に寄せられないと感じ、本作を最後にスーツアクターを卒業することを意識したという[55]。 スーパー戦隊シリーズ戦隊シリーズを演じる魅力として、タイマンでなく複数人で戦える安心感を挙げており、レッドが立ち位置的にセンターだが、エピソードの主役は各メンバーに輪番で回るため、レッドが脇役になることもある新鮮さが、仮面ライダーにはない魅力であると述べている[56]。 ある程度きちんとしたヒーローを演じたのは『恐竜戦隊ジュウレンジャー』のドラゴンレンジャーが初であるが、スケジュールの都合上、初登場から数回と終盤の数回しか出演していない。戦隊物の撮影に慣れておらず、カメラマンのいのくままさおや監督の東條昭平からは「キャメラフレームも分からないのか!」とボロクソに怒鳴られ、一切名前を呼んで貰えなかったという[11]。 『五星戦隊ダイレンジャー』に出演した和田圭市は、クランクイン前のアクション練習で高岩の協力を受けたが、言葉数少なく威圧感が印象的であったと述べている[57]。 『忍者戦隊カクレンジャー』のニンジャレッド役では、『秘密戦隊ゴレンジャー』から『鳥人戦隊ジェットマン』までほぼ全てのレッドを演じた新堀和男から直接、「レッドは真ん中で、ドーンと構えていないといけない」など、所謂「レッド談義」を聴いて撮影に臨んだが、高身長と逆三角形の体格だからこそ為せる表現であることに気づき[58]、途中から新堀のレッド像は演じられないと悟り、ニンジャレッドのキャラクターが従来のレッド像とは異なることもあって、自分なりのレッドを演じるよう開き直ったという[4]。レッド役は前年の『ダイレンジャー』で、大藤直樹が1年だけリュウレンジャーを務めた前例から、自身も1年だけと考えていたが、撮影の段取が分からず、ヒーローショーの芝居やアクションのまま演じており、いのくままさおからは「赤いの!」と、相変わらず名前で呼んで貰えなかった。またスーツアクターの中では一番の下っ端で、撮影現場へ到着すると、レッドの扮装のまま雑用をこなす毎日を過ごすことが多く、撮影に入ると一番下の後輩(レッド)が先輩(ブルー・イエロー・ブラック・ホワイト)を指揮する構図に、先輩のスーツアクター達から「何でお前にそんなこと言われなきゃいけないんだよ(笑)」と、キャメラテストで弄られ、監督やカメラマンからは叱責される日々だったこともあり、いつ辞めるか自問自答を繰り返していたという[59]。 『電磁戦隊メガレンジャー』のメガブルー役は、メンバーの中心であるレッド役に比べて自由度が高かったため、ヒーローらしい動きを封印してナチュラルな動きを取り入れたり、斜に構えた銃の打ち方を行ったりするなど、試行錯誤を行ったという[4][7]。また、共演者に横山一敏・岡元次郎・蜂須賀祐一ら実力派メンバーが揃っていたため、工夫が必要であったと述べている[7]。 『星獣戦隊ギンガマン』や『救急戦隊ゴーゴーファイブ』のころになると、大袈裟な身振り手振りによる演技に疑問を持つようになる[24]。特に『救急戦隊ゴーゴーファイブ』では芝居への意欲が高まり、変身前を演じる西岡竜一朗と演技について密に語り合い、キャラクターの演技付けを行った[4][7]。そして監督たちと意思疎通を図るため、テスト撮影の段階から表情を作り込むことに執心したという。しかし、次作『未来戦隊タイムレンジャー』では、変身前を演じる永井マサルが演技経験のない新人であったため、高岩が永井の演技のクセを拾うことができず、高岩が演技について「喋っている人を見た方が良い」などの助言をしたり、永井が高岩の演技を取り入れたりするなどの試行錯誤を番組中盤まで試した。この取り組みにより、戦隊シリーズでの過剰な演技や芝居は、徐々に減少していったという[29][7]。 2005年に久々に戦隊シリーズを担当した『魔法戦隊マジレンジャー』への起用が決まった際は、「やった!」と心の中で勝どきを挙げ、撮影中も「滅茶苦茶楽しかった」と述懐するほどの充実感を得る毎日だったが、平成ライダーの『仮面ライダーカブト』への復帰が決まった後は、撮影現場で「1年ゲスト」と弄られていたという[56]。本作でも培われた表現力が発揮されており、末っ子・魁の猪突猛進ぶり(本人曰く「小学生ぐらいの動作」を意識したとのこと)を表現し、変身前の魁の役作りに悩んでいた橋本淳がキャラクターを固める1つのきっかけにもなっている。また、橋本は高岩が橋本の体型に合わせるためにダイエットを行っていたことを証言しており、その姿勢に感心した旨を語っている[60]。 メタルヒーローシリーズ『重甲ビーファイター』への参加は、スーパー戦隊とメタルヒーローでアクション監督が入れ替わったことに伴うものであった[4]。高岩は竹田道弘から指名を受け、それに応えたいという想いが強かったと述べている[4]。 『ビーファイターカブト』のころになると、ノウハウを覚えて現場で叱責されることはなくなった。しかし本作にて念願の顔出し役を貰ったものの、演技や発声の不甲斐なさ、撮影後のアフレコでのNG連発で心を折られ、以降はスーツアクターとして生きることを決めたという[61]。 その他『仮面ライダーBLACK RX』では、先輩スーツアクター陣が高岩が役者志望であることを知っていたため、顔の半分出ているライダーマン役を勧められて演じることとなった[7]。しかし、高岩はまだ若かったことから、恥ずかしさを感じていたという。また、テレビでの演技は初めてであったため、舞台的なアクションになってしまったことを反省点として挙げている[7]。 元SKE48の松井玲奈は、最も尊敬する人物の第1位に高岩を選んだほどの大ファンとして知られる[62]。 出演※『JAE NAKED HERO』「LIST OF WORKS 高岩成二」、『時は今― 歩み続けるその先へ ACTion 高岩成二』より[63][64] テレビドラマ
特撮テレビドラマ太字はレギュラー出演。
映画ビデオ・DVDWebドラマ
後楽園遊園地ヒーローショー
舞台
PV
ゲームCM
イベント
バラエティ番組
アニメーション
書籍脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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