風流活人剱
『風流活人剱』(ふうりゅうかつじんけん)は、野村胡堂が1933年(昭和8年)に発表した剣豪小説である。同作を原作とし、山中貞雄監督による日本の長編劇映画、サイレント映画、剣戟映画が1934年(昭和9年)に製作・公開された。また、テレビ映画にリメイクされて、1962年(昭和37年)に放映された。『風流活人剣』とも。 略歴・概要小説『風流活人剱』の初出は、1933年(昭和8年)、のちに『キング』に合併した雑誌『富士』1月号 - 11月号(講談社)での連載である。単行本は、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)、東京の出版社矢貴書店から出版されている[1][2]。小説『風流活人剱』は野村胡堂の著作権が消滅していないため、青空文庫には収められていない。 映画『風流活人剱』は、山中貞雄が片岡千恵蔵プロダクションに出向して監督した最初の作品である[3]。公開の当時、小津安二郎が前年に監督した現代劇『出来ごころ』(1933年)をはじめとした小津作品からの影響を指摘されたという[3]。 現在、発見された玩具フィルムから復元した103.13フィート(31.4メートル、上映時間68秒)のフィルム断片が東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されている[4]のみで、全貌を鑑賞することの不可能な作品である。このフィルム断片は片岡千恵蔵が敵に立ち向かうクライマックスの剣戟シーンである[3]。1985年(昭和60年)に刊行された『山中貞雄作品集 1』、1998年(平成10年)に刊行された『山中貞雄作品集』にそれぞれシナリオが採録されている[5]。 戦後、東京放送(現在のTBSテレビ)が60分・1話完結作品としてリメイクした際には、山中のデビュー作『磯の源太 抱寝の長脇差』(1932年)を『キネマ旬報』誌上で激賞したことで知られる岸松雄[6]が、60分尺のテレビ映画用の脚本を執筆した[7]。 映画
『風流活人剱』(ふうりゅうかつじんけん)は、1934年(昭和9年)製作・公開、山中貞雄監督による日本の長編劇映画、サイレント映画、剣戟映画である。主演は本作を製作した片岡千恵蔵プロダクションを主宰する片岡千恵蔵である。フィルムは大半が失われ、1-2分の断片のみが東京国立近代美術館フィルムセンターに保管されている。 スタッフ・作品データ
キャスト
テレビ映画『風流活人剣』(ふうりゅうかつじんけん)は、1962年(昭和37年)製作・放映された日本のテレビ映画である[7]。1934年(昭和9年)製作・公開、山中貞雄監督による同名の長編劇映画を原作としてリメイク、『近鉄金曜劇場』の枠で60分・1話完結作品として放映された[7]。
ビブリオグラフィ
脚注
外部リンク |
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