静岡競輪場
静岡競輪場(しずおかけいりんじょう)は静岡県静岡市駿河区にある競輪場。施設所有および主催は静岡市。競技実施はJKA東日本地区本部南関東支部。 概要静岡競輪場は全国最後発となる1953年に開設された。当初は地元企業が競輪場の施設を保有していたが、1963年から静岡市が施設を保有している。入場料は無料である。 特別競輪は、1974年、1989年にオールスター競輪が、1994年、1999年、2004年、2008年、2016年に日本選手権競輪(「駿府ダービー」。1994年のみ「静岡ダービー」)が、2010年にSSシリーズ風光るが、2015年に読売新聞社杯全日本選抜競輪が、2018年と2021年[注 1]に関東と近畿以外では初めてのKEIRINグランプリが、それぞれ開催された。なお2020年には日本選手権競輪が開催予定だったが、COVID-19の影響で開催自体が中止となった[2](その為、2020年度は静岡ではグレードレースは一度も行われなかった)。今後は2024年12月28日から30日まで3年ぶりに寺内大吉記念杯グランプリシリーズ(初日ヤンググランプリ・2日目オッズパーク杯ガールズグランプリ・最終日KEIRINグランプリ)が開催される予定である。 記念競輪 (GIII) は毎年2月に「たちあおい賞争奪戦」を開催するのが通例(2011年度は時期移動で11月、2012年度は2013年1月に開催)となっており開催2日目のシード優秀競走は、静岡県の民謡「ちゃっきり節」にちなんで「ちゃっきり賞」の名称で行われる。また、駿府城を居城とした徳川家康の幼名「竹千代」にちなんで「竹千代三国志(2007年までは「竹千代カップ」)」と題した開催が行なわれていた。なお三国志とは、関東地区、南関東地区、中部・近畿地区の若手選手の3地区対抗戦で行われることからこの名前がついている。 1967年8月に日本の競輪場では初めてセンターポールにエンドレスパトロールカメラを設置したが、この工事をバリー工業が行ったことから場内のレース実況も長い間同社の所属アナウンサーが務めていた。2011年度から2017年度までと2019年度以降は実況は株式会社JPFで担当は中村将司もしくは藤澤宏己。2018年度のみ再びバリー工業で担当は主に香川岳司が担当していた。 2020年3月3日からナイター競走として「富士山バンクナイトレース」が実施されている[3]。また、2022年10月3日より全国29場目となるミッドナイト競輪を開催している[4]。 場内における飲食店の充実ぶりは川崎競輪場と並んで評価が高い。トータリゼータシステムは当場の包括委託企業である日本トーターが担当している。 静岡市はいわゆる地方都市に該当するが、集客力は全国の競輪場の中でもトップクラスであり、KEIRINグランプリ2018開催当日の2018年12月30日は22,110人もの観客を集めた。KEIRINグランプリにおいて開催当日に2万人以上もの観客を集めたのは、KEIRINグランプリ08(2008年)以来10年ぶりであった(KEIRINグランプリ2021は入場制限を行った影響で4,734人に留まった)。また、売り上げ額も全国トップクラスであり、日本選手権競輪において過去最高の売り上げ額(430億1370万5100円)を記録したのも当地で1994年に開催された第47回大会であった[5]。 2020年に開催されたKEIRINグランプリ2020を巡り、本競輪場が20万200円の配当の的中車券を払い戻しに来た男性に対して、誤って10倍の200万2000円を手渡していたことを2021年1月8日に静岡市が発表した。男性を特定できないため、静岡市は「返還してほしい」と呼び掛けると共に静岡県警察に対して被害届の提出も検討されていたが、同月9日に男性から過払い分が返還された[6][7][8]。なお、返還がない場合は静岡市の予算からこの大会の主催者である平塚市(神奈川県)に差額の180万1800円を支払うことになっていた[6]。 チャリロト2012年12月7日からの開催より、重勝式投票にあたるチャリロトが発売される。なお静岡は伊東温泉競輪場・千葉競輪場・いわき平競輪場とキャリーオーバーを共有する『グループB』としての発売となり、キャリーオーバーの対象外であるチャリロト3は静岡の開催では発売されない。 キャラクター新マスコットキャラクターは2016年初めに公募され[9]、静岡市内・日本平動物園のレッサーパンダにちなんだものが選ばれた[10]。計399作品(複数案提出者も)の中から、ユニフォームのミカンを削除、S班のレーサーパンツへの変更などを経た最終デザインが採用された[11]。名前も公募され「レーサーパンダ」に決定、4月30日の第70回日本選手権競輪初日からデビューした[12](性別は男の子[13][14])。 それ以前、2004年から地元静岡市出身の坂井永年がデザインした天女の「ビッキー」が使用されていたが、これは天女伝説のある三保の松原が所在する旧清水市と静岡市が登場の前年に合併したことにちなんでいた[15]。 バンク特徴1周400m。静岡より前に開設された競輪場のバンクはいずれもカントが緩やかながら外周部は地面と直角に近い角度となる、いわゆる『お椀』型であったが、静岡では全国で初めてストレート・カントのバンクを採用して当時話題となった[16]。 変に伸びるコースは無く平均的なスペックだが、逃げが決まり難く捲りやすい特徴がある。特に2コーナーからの捲りは威力があり、これを逃げ選手のラインがブロック出来なければライン全滅もありうる。それが影響して自力選手もあまり逃げたがらず、500mバンクの様に残り一周になってようやく駆け出すレースが見受けられ、限りなく500mの性格を持つ400mバンクと言える。 選手の間には「富士山を見るな」という冗談がある。これはバンク内からだと観戦スタンドやカントの関係で富士山を見る事はできないのだが、4コーナーの大外に来るとその姿を拝む事ができるため、選手にとってこの辺りを走る事は失速して膨れている事になるので、“富士山を見る事=負け”を意味してしまうからである。 大画面映像装置は3コーナー側に設置されている。 一般客用の開放スタンドは4コーナーの一角のみに設置されている。このスタンドの裏にはイベントが開催できるスペースが確保されており、時にここにステージを設置してゲストによるトークショーや予想会などが開かれるほか、KEIRINグランプリ2018シリーズではそれぞれのグランプリの優勝者に対する表彰式が行われた(KEIRINグランプリ2021シリーズではCOVID-19の影響で、寺内大吉記念杯競輪も含めてバンク内で表彰式を実施した)。 アクセス
ホームバンクとする主な選手歴代記念競輪優勝者
※1節4日間制開催となった、2002年4月以降の歴代記念競輪優勝者を列記。 脚注注釈出典
外部リンク
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