長谷寺 (高崎市)
長谷寺(ちょうこくじ)は、群馬県高崎市白岩町にある金峰山修験本宗の寺院である[1]。山号は白岩山(しらいわさん)。本尊は十一面観世音菩薩で、坂東三十三観音第15番札所である。地名から白岩観音とも称される。 ご詠歌:誰も皆な祈る心は白岩の 初瀬の誓ひ頼もしきかな[要出典] 歴史『白岩山長谷寺縁起』によれば、和銅4年(711年)に越後国の浦に3体の観音像が出現し、信濃国更科の長谷寺に祀られたが、翌年「1体はこの地に、1体は上州に、もう1体は相州に縁があるので送り届ける」というお告げがあったという[2]。『久留馬村誌』には孝徳天皇の御代白雉5年(654年)3月に役小角がこの地を訪れた際、白い大岩の上に仏像を安置し堂を造って覆ったことにより白岩という地名が生じたとの伝説が紹介されている[2]。聖武天皇の勅願により徳道・行基によって伽藍が建立されたとも伝わる[1]。行基が十一面観音を刻んだとも、最澄や空海がこの寺を訪れたとも伝えられる[要出典]。その後、源義家、源頼朝、新田義貞、上杉憲政、長野業政などに信仰されたという[1]。系図には戦国時代の永禄6年(1563年)に武田信玄が箕輪城を攻めたときに焼失したとある[2]。天正8年(1580年)世無道によって観音堂が再建された[2]。 江戸時代には慶安元年(1648年)徳川家光によって23石5斗余の朱印地を得ている[3]。観音堂の祭祀・管理を行ったのは本山派修験の6坊、大坊、南泉坊、入之坊、龍蔵坊、中之坊、宝蔵坊であった[4]。 古くから修験道の寺であったが、明治に入り一時天台宗に属することとなり、戦後現在の宗派となった。 文化財
高崎市指定重要文化財[6] 交通アクセス
前後の札所脚注
参考文献
外部リンク |