長崎市長(ながさきしちょう)は、長崎県の県庁所在地である長崎市の首長である。現市長は鈴木史朗。
現在までに2人の市長が銃撃事件の被害者となっている。
また1951年に就任した田川務以降、5人続けて長崎市域外の出身者が市長となっていたが[注 1]、2023年の鈴木の当選により、72年ぶりに長崎市出身の市長が誕生した[注 2]。
官選
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
在任期間 |
備考
|
初 |
北原雅長 |
1889年(明治22年)6月8日 |
1895年(明治28年)6月7日 |
6年 |
前職:対馬島司、元職:長崎県少書記官(旧会津藩士)
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2 |
横山寅一郎 |
1895年(明治28年)6月22日 |
1901年(明治34年)6月21日 |
11年8ヶ月 |
前職:長崎県会副議長
|
3 |
1901年(明治34年)6月22日 |
1902年(明治35年)7月29日
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4 |
1902年(明治35年)9月18日 |
1907年(明治40年)2月21日
|
5 |
北川信従 |
1907年(明治40年)5月16日 |
1913年(大正2年)5月24日 |
6年 |
前職:長崎地方裁判所検事正
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6 |
薄定吉 |
1913年(大正2年)8月21日 |
1913年(大正2年)9月18日 |
28日(最短) |
前職:岐阜県知事 助役の再選を非政友派と中立団の議員から阻止され辞職。 任期は1ヶ月にも満たなかった。
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7 |
高崎行一 |
1913年(大正2年)12月25日 |
1917年(大正6年)12月24日 |
8年 |
元職:長崎県教育課長
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8 |
1918年(大正7年)1月17日 |
1922年(大正11年)1月16日
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9 |
錦織幹 |
1922年(大正11年)11月11日 |
1926年(大正15年)11月10日 |
4年 |
元職:新潟県内務部長
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10 |
富永鴻 |
1927年(昭和2年)3月23日 |
1931年(昭和6年)3月22日 |
4年 |
前職:長崎県知事
|
11 |
草間秀雄 |
1931年(昭和6年)7月23日 |
1934年(昭和9年)3月31日 |
2年8ヶ月 |
元職:大蔵省造幣局長(1929年(昭和4年)退官)
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12 |
笹井幸一郎 |
1934年(昭和9年)5月21日 |
1938年(昭和13年)5月20日 |
4年 |
元職:愛媛県知事
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13 |
青木善祐 |
1938年(昭和13年)8月29日 |
1940年(昭和15年)3月11日 |
1年7ヶ月 |
前職:長崎市助役
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14 |
井野次郎 |
1940年(昭和15年)7月6日 |
1941年(昭和16年)5月23日 |
10ヶ月 |
前職:東京市助役
|
15 |
岡田寿吉 |
1941年(昭和16年)10月22日 |
1945年(昭和20年)10月21日 |
5年 |
前職:三菱長崎造船所副長、初の民間出身者。 長崎市への原子爆弾投下時の市長。
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16 |
1945年(昭和20年)10月22日 |
1946年(昭和21年)10月15日
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公選
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
在任期間 |
備考
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17 |
大橋博 |
1947年(昭和22年)4月9日 |
1951年(昭和26年)4月3日 |
4年 |
前職:三菱長崎製鋼所副所長
|
18 |
田川務 |
1951年(昭和26年)4月27日 |
1955年(昭和30年)4月13日 |
16年(最長) |
弁護士
|
19 |
1955年(昭和30年)5月2日 |
1959年(昭和34年)5月1日
|
20 |
1959年(昭和34年)5月2日 |
1963年(昭和38年)5月1日
|
21 |
1963年(昭和38年)5月2日 |
1967年(昭和42年)5月1日
|
22 |
諸谷義武 |
1967年(昭和42年)5月2日 |
1971年(昭和46年)5月1日 |
12年 |
前職:長崎県議会議員
|
23 |
1971年(昭和46年)5月2日 |
1975年(昭和50年)5月1日
|
24 |
1975年(昭和50年)5月2日 |
1979年(昭和54年)5月1日
|
25 |
本島等 |
1979年(昭和54年)5月2日 |
1983年(昭和58年)5月1日 |
16年(最長) |
前職:長崎県議会議員
|
26 |
1983年(昭和58年)5月2日 |
1987年(昭和62年)5月1日
|
27 |
1987年(昭和62年)5月2日 |
1991年(平成3年)5月1日
|
28 |
1991年(平成3年)5月2日 |
1995年(平成7年)5月1日
|
29 |
伊藤一長 |
1995年(平成7年)5月2日 |
1999年(平成11年)5月1日 |
12年 |
前職:長崎県議会議員 在職中に死去[注 3]
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30 |
1999年(平成11年)5月2日 |
2003年(平成15年)5月1日
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31 |
2003年(平成15年)5月2日 |
2007年(平成19年)4月18日
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32 |
田上富久 |
2007年(平成19年)4月22日 |
2011年(平成23年)4月21日 |
16年(最長) |
前職:長崎市職員
|
33 |
2011年(平成23年)4月24日 |
2015年(平成27年)4月23日
|
34 |
2015年(平成27年)4月26日 |
2019年(平成31年)4月25日
|
35 |
2019年(平成31年)4月26日 |
2023年(令和5年)4月25日
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36 |
鈴木史朗 |
2023年(令和5年)4月26日 |
現職 |
4年 |
前職:国土交通官僚
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選挙
回 |
投票日 |
当選者 |
得票数 |
他候補者 |
有権者数 |
投票率
|
1 |
1947年(昭和22年)4月05日 |
大橋博 |
032,122 |
菅野一郎14,278 今泉佳三郎 9,984 |
096,293 |
65.61%
|
2 |
1951年(昭和26年)4月23日 |
田川務 |
045,599 |
木原津与志38,586 大橋博23,148 |
131,063 |
86.70%
|
3 |
1955年(昭和30年)4月30日 |
074,488 |
加藤錦43,419 坪内八郎6,057 |
160,436 |
78.80%
|
4 |
1959年(昭和34年)4月30日 |
113,952 |
宮島豊16,639 大串喜代造11,005 |
182,312 |
79.91%
|
5 |
1963年(昭和38年)4月30日 |
063,013 |
松本光之52,287 松尾哲男48,885 |
222,603 |
75.60%
|
6 |
1967年(昭和42年)4月28日 |
諸谷義武 |
083,774 |
鈴田正武78,348 宮本一9,882 |
236,957 |
74.94%
|
7 |
1971年(昭和46年)4月25日 |
116,173 |
荒木徳五郎53,051 吉田次雄22,552 |
268,372 |
73.76%
|
8 |
1975年(昭和50年)4月27日 |
107,103 |
阿部国人52,029 岩口夏夫49,069 森正雄10,978 |
293,115 |
76.49%
|
9 |
1979年(昭和54年)4月22日 |
本島等 |
116,474 |
諸谷義武98,973 深町孝郎12,840 |
298,096 |
78.27%
|
10 |
1983年(昭和58年)4月27日 |
133,368 |
岩口夏夫86,464 川口龍也12,969 |
237,592 |
77.07%
|
11 |
1987年(昭和62年)4月26日 |
082,814 |
宮川雅一62,015 中村重光49,575 塩飽志郎38,485 川口龍也6,491 |
315,032 |
76.79%
|
12 |
1991年(平成03年)4月21日 |
117,392 |
宮川雅一109,637 山口実752 若島征四郎415 |
320,939 |
71.98%
|
13 |
1995年(平成07年)4月23日 |
伊藤一長 |
105,670 |
本島等60,897 浅田五郎33,867 茅野丈二19,541 若島征四郎325 |
327,560 |
67.91%
|
14 |
1999年(平成11年)4月25日 |
140,142 |
五貫淳65,318 |
328,979 |
63.67%
|
15 |
2003年(平成15年)4月27日 |
114,165 |
吉富博久50,920 石川悟13,528 花岡光六6,253 若島和美1,017 |
330,516 |
57.63%
|
16[注 4] |
2007年(平成19年)4月22日 |
田上富久 |
078,006 |
横尾誠77,113 山本誠一19,189 前川智子8,321.648 前川悦子2,677.344 |
364,181 |
55.14%
|
17 |
2011年(平成23年)4月24日 |
150,842 |
太田まさひで26,316 中田ごう12,762 |
360,164 |
53.28%
|
18 |
2015年(平成27年)4月19日(告示) |
--- |
現職以外の届け出がなく、無投票で田上が当選。 長崎市長選での無投票当選は戦後初。 |
--- |
---
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19 |
2019年(平成31年)4月21日 |
086,319 |
橋本剛54,136 高比良元19,239 吉富博久4,207 |
350,395 |
47.33%
|
20[1][2] |
2023年(令和05年)4月23日 |
鈴木史朗 |
065,520 |
赤木幸仁54,995 原拓也24,428 吉富博久8,878 |
335,540 |
47.18%
|
脚注
注釈
- ^ 伊藤一長は生地(現在の山口県長門市)から幼時に長崎市に転居。公式には長崎市出身としていた。
- ^ 鈴木は田川務の孫にあたる。
- ^ 統一地方選挙の一環として行われ、伊藤自身も立候補していた市長選挙の期間中の2007年4月17日、長崎駅付近にて狙撃され、翌18日死去(長崎市長射殺事件)。同月18日から市長選挙投開票日の22日までは市長不在となり、当時副市長であった内田進博(のぶひろ)が市長職務代理者を務めていた。市長選挙は19日午後5時まで補充立候補を受け付けた上、当初の予定通り同月22日に投開票が行われ、補充立候補で出馬した田上が当選した。
- ^ 選挙期間中に現職の伊藤が長崎市長射殺事件により死亡し、田上と横尾(伊藤の娘婿)が補充立候補。
出典
参考資料
- 「市制百年 長崎年表」(1989年(平成元年)4月1日, 長崎市役所)
関連項目
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官選 |
区長 |
- 家永恭種1878.10.21-1879.1.24
- 稲田又左衛門1879.1.27-1880.8.28
- 朝永東九郎1880.9.21-1886.8.12
- 金井俊行1886.8.12-1889.3.31
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市長 | |
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公選 |
- 大橋博1947.4-1951.4
- 田川務1951.4-1967.5
- 諸谷義武1967.5-1979.5
- 本島等1979.5-1995.5
- 伊藤一長1995.5-2007.4.18
- 田上富久2007.4.22-2023.4.25
- 鈴木史朗2023.4.26-
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カテゴリ |
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