錦岡
錦岡(にしきおか[4])は、北海道苫小牧市の字。住居表示未実施[5]。 地理苫小牧市の西部に位置し、住居表示を実施し分離した各町(後述)のほか、東は字樽前、西は字糸井、北は字丸山、千歳市モラップと接している。 地名の由来錦岡の地は古くから錦多峰(ニシタップ)と呼ばれていた。語源はアイヌ語だが、意味は諸説ある[6][7]。
1944年(昭和19年)1月1日、苫小牧町の字名改称地番整理の際、アイヌ語の簡易化と二文字までの字数制限のため、錦岡に改められた[6][8]。 歴史錦岡は元々、漁業の出稼ぎ場として発展したもので、初期には覚生が中心地で小学校も設置されていた[6]。1894年(明治27年)、青森県から現錦岡駅付近に3戸が移住。漁業のかたわら農事に従事した。1898年(明治31年)2月1日、北海道炭鉱鉄道錦多峰駅が設置された。 1902年(明治35年)2級町村制を施行し樽前村、覚生村、錦多峰村、小糸魚村、苫小牧村、勇払村、植苗村が合併し、苫小牧村となる。 大正時代に入ると、地区の中心は錦多峰に移り、駐在所、保線区、運送店などが設けられ、駅を中心に人口が密集した[6][9]。大正11年8月、覚生尋常小学校は錦多峰尋常小学校に改称し、10月、現在地に移転した(現在の錦岡小学校)[9]。大正末期には漁業のほかに農業、木炭製造も盛んになった[6]。 苫小牧の字名、地番の多くはアイヌ語をそのまま使用しており読みずらく、字の境界も曖昧だった。こうした不便を解消するため[10]、1944年(昭和19年)1月1日、大字錦多峰村と大字覚生村の一部を合併、大字を廃止し、字錦岡に改称した[8][6]。(昭和25年)には駅名も錦岡駅に改められた[6]。 戦後苫小牧は港湾の築設、臨海工業地帯の造成に伴い、錦岡、糸井地区は住宅地として一変した。1964年(昭和39年)から市は錦岡団地の造成を開始。一般住宅地の造成も相次ぎ、新しい住宅団地が形成され、人口も急速に増加した[6][11]。 住居表示の実施1973年(昭和48年)3月から錦岡土地区画整理組合により、錦岡鉄北地区の区画整理事業が進められた。市は区画整理事業の完了に併せて新町の設定をし、1977年(昭和52年)4月16日、澄川町、ときわ町が分離し、設置された[12]。 1990年(平成2年)10月1日、澄川町四丁目と五丁目、ときわ町三丁目が分離[13]。1993年(平成5年)11月1日、美原町、のぞみ町、宮前町、もえぎ町、青雲町、明徳町が分離[14]。 2018年(平成30年)10月1日、錦西町、北星町が分離[15] 年表
世帯数と人口2024年(令和6年)10月末現在の世帯数と人口は以下の通りである[16]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[17]。
交通道路バス鉄道施設鉄南地区(室蘭本線以南)
鉄北地区(室蘭本線以北)
その他日本郵便警察管轄する警察署、交番・派出所は以下の通りである[25]。
脚注注釈出典
参考文献 |
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