鈴木宣之
鈴木 宣之(すずき のぶゆき、1942年12月8日 - )は、日本の実業家、作家、アマチュア野球指導者。愛知県名古屋市熱田区出身。東海中学校・高等学校、芝浦工業大学工学部二部卒業。 来歴高校在学中は外野手として野球部で活動。3年生のとき、夏の愛知県大会ベスト4進出。大学卒業後は、東京都品川区西中延の伯父の会社に勤務。1970年、愛知県西春日井郡にて実兄の世話で、機械部品製造の自営を始める。 イチローの実父で、イチローの個人事務所「オフィス・イチロー」の代表も務める。イチローの父親であることから、「チチロー」と呼ばれることもある。また、元ファッションモデルの鈴木来海は孫に当たる。 人物
イチローの父親としてイチローが小学校の3年生の時から中学に入るまで、学校から帰宅して日が沈むまで毎日、野球の練習に付き添い、また練習後は毎晩イチロー選手の足の裏をマッサージをしていた[2]。1994年にはイチローの個人事務所『オフィス・イチロー[1]』を設立し、自ら社長に就任している[3]。 デイリー新潮の取材によると、1999年にイチローが福島弓子と結婚したことを契機に親子関係は悪化を始めた。宣之がこの結婚に否定的だったことや、宣之がイチローのメジャー・リーグ移籍に反対していたこともあり、イチローは宣之から距離を置くようになった[1][3]。2003年1月に『オフィス・イチロー』が名古屋国税局からの9千万円の申告漏れを指摘された際には、イチローは宣之の不適切な管理を批判した[1]。 イチローは宣之が講演など公の場で自身に言及することを望んでおらず[1][3]、2003年に元広島カープ監督の古葉竹識が広島市長選に立候補した際、イチローと宣之は応援演説の要請を受けていたが、イチローは古葉の選挙対策関係者に対し、宣之には絶対に街頭演説をさせないよう要請している[3]。 2002年11月に豊山町で催された『イチロー杯争奪学童軟式野球大会』の表彰式で、イチローは「大リーグ挑戦を父に反対されて辛かったけれど、意思を貫いてよかった。自分で決断ができる大人になってほしい」と述べたと報じられている[1]。一方、宣之自身は息子のメジャー挑戦に反対したことはないと主張している[4]。 イチローのアメリカ野球殿堂入りの際には「ニュースで見てたらアメリカでは1票足らず。ほっとしました。そんな完璧な人間がいるのかと思っていましたので、欠けていてちょうどいい」とイチローと意見が一致していた一方で「51歳のおっさんが親に連絡なんかして来ない」と苦笑するなど依然親子が疎遠であることが窺える[5]。 著書
脚注外部リンク |
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