金田勝年
金田 勝年(かねだ かつとし、1949年〈昭和24年〉10月4日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚。 衆議院議員(5期)、法務大臣(第97代)、農林水産政務次官(小渕再改造内閣・第1次森内閣)、外務副大臣(第3次小泉改造内閣)、衆議院財務金融委員長、参議院厚生労働委員長、衆議院予算委員長、参議院議員(2期)、自由民主党幹事長代理、自由民主党秋田県連会長、自民党たばこ議員連盟副会長、自由民主党総務会長代行等を歴任。 経歴生い立ち秋田県南秋田郡昭和町(現・潟上市)生まれ[1]。東北電力に勤務する父親の関係で、昭和町、雄勝町(現・湯沢市)、増田町(現・横手市)で過ごす[2]。増田中学校[2]、秋田高校卒業後[2]、浪人して高校の同級生であった銭谷真美(後の文部科学事務次官)とともに東京大学進学を目指すも東大紛争で東大入試が中止となったため、一橋大学経済学部に入学。一橋大経済学部で大川政三教授や荒憲治郎教授のゼミに参加[3][4]。1973年、一橋大経済学部を卒業し、大蔵省(現・財務省)に入省[5]。大学及び入省同期に佐藤隆文(元金融庁長官)。伊藤隆敏(コロンビア大学教授)は大川ゼミ及び荒ゼミの同期[6][3]。 大蔵省では主計局総務課に配属される。東大入試が取りやめとなった年次であったため、東大卒は牧野治郎(経済)・新井将敬(経済)・竹内洋(法)の3人で、その他は京大法6人・京大経済2人・一橋大経済(院経済)4人(金田や佐藤ら)・東工大1人・慶應大経済1人。 主計局法規課、東京国税局山梨税務署長[2]、主計局法規課課長補佐、主計官補佐、プリンストン大学客員研究員[2]、証券局証券取引審査室長[2]、主計局給与課長[2]、主計官[2]を経て、1995年に退官[7]。 1995年7月、蔵相経験者である渡辺美智雄・竹下登や、同郷の野呂田芳成元防衛庁長官の勧め[8]で第17回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で秋田県選挙区から立候補し、日本社会党の細谷昭雄を破り、初当選した。後援会長は、高校・大学の先輩にあたる実業家の辻兵吉秋田商工会議所会頭が務めた[9][10]。 1999年、小渕第2次改造内閣で農林水産政務次官に任命され、第1次森内閣まで務める。2001年の第19回参議院議員通常選挙では、民主党公認の高松和夫を破り、再選。2005年、第3次小泉改造内閣で外務副大臣に任命された。 2007年の第21回参議院議員通常選挙では、民主・社民・国民新3党が推薦する無所属の松浦大悟に約4万票差で敗れ、落選した。翌2008年、郵政民営化に反対して自民党を除名され、国民新党に加わっていた秋田2区選出の野呂田芳成元防衛庁長官が次期衆議院議員総選挙に立候補しない意向を表明し、秋田2区における後継者に金田を指名した。これを受け、2009年の第45回衆議院議員総選挙に自民党公認で秋田2区から立候補し、民主党が支援する無所属の川口博に1,351票の僅差で敗れたが、重複立候補していた比例東北ブロックで当選。 2011年には軽い脳出血で入院した[11]。2012年の第46回衆議院議員総選挙では、民主党に入党していた川口を破り再選。選挙後、衆議院財務金融委員長に起用された[12]。2013年、自由民主党秋田県支部連合会会長に就任。2014年の第47回衆議院議員総選挙で3選[13][14]。 法務大臣2016年8月に発足した第3次安倍第2次改造内閣において法務大臣に任命され、初入閣した[8][15]。秋田県選出の国会議員の入閣は、1999年に野呂田芳成が小渕内閣で入閣して以来、17年ぶりであった[8]。法務大臣としての業績は以下の通り。
2017年8月3日、内閣改造に伴い大臣を退任し、自由民主党幹事長代理に就任した[31]。 第48回衆院選から引退まで2017年10月22日の第48回衆議院議員総選挙は希望の党の新人である緑川貴士を1672票差で破り4選を果たした[32]。 2018年3月、森友学園問題で財務省公文書書き換え調査プロジェクトチーム(PT)のメンバーに就任し、財務省幹部からの聴取などを行った[33][34]。2019年には自由民主党秋田県支部連合会会長として、イージス・アショアの秋田県への配備計画について、ゼロベースでの再調査を防衛省に申し入れるなどした[35][36]。 2019年10月、竹下派を退会[37]。その後、2020年1月に二階派に入会[38]。 2021年10月31日に投開票が行われた第49回衆議院議員総選挙では、立憲民主党から立候補した緑川と一騎打ち[40]となり敗北、比例東北ブロックから比例復活により5選[41]。 2022年8月31日、自由民主党選挙対策委員長代行に就任[42]。 2023年9月7日、次期総選挙となる第50回衆議院議員総選挙に立候補しない意向を固め[43]、翌8日に秋田県能代市内で記者会見を開いて「体力、年齢的な影響で満足な政治活動が出来ないと感じる機会が増え、後進に道を譲りたい」と語り、次期総選挙不出馬を正式に表明した。政界引退は明言していないが、自身の後継については指名せず、県連の擁立する候補を支援する姿勢を見せた[44][45]。同月29日、自由民主党総務会長代行に就任[46]。 2024年9月27日に行われた自民党総裁選挙において加藤勝信の推薦人に名を連ねた[47]。1回目の投票では加藤に投じ[48]、得票数1位の高市早苗と2位の石破茂が進んだ決選投票では石破に投じた[48]。 同年10月9日の衆院解散をもって政界を引退[49]。 略歴
活動・主張
選挙歴
不祥事
政治資金
所属団体・議員連盟
脚注
外部リンク
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