野中ともよ野中 ともよ(のなか ともよ、1954年6月18日 - )は、日本のテレビキャスター、ジャーナリスト、実業家。元三洋電機代表取締役(CEO)。そのルックス(えくぼ)から「ペコちゃん」と呼ばれたことがある。NPO法人ガイア・イニシアティブ[1]ほか市民活動を率いている。 概要東京都出身。東京都立富士高等学校を経て、上智大学文学部新聞学科を卒業後、アメリカ合衆国のミズーリ大学コロンビア校大学院に留学。1994年、上智大学大学院文学研究科博士前期課程修了。 1979年からNHK総合テレビの報道、スポーツニュース番組でキャスターに就任。主な番組は、「海外ウィークリー」、「スポーツとニュース」、星野仙一、大塚範一と始めた「サンデースポーツスペシャル」の初代キャスター。民放では1992年から1996年にテレビ東京・「ワールドビジネスサテライト」のメインキャスター。 また、ジャーナリストとしての活動のほか、各種社会団体の委員、アサヒビール、ニッポン放送等企業の社外取締役や日興フィナンシャル・インテリジェンス理事長、NTTドコモ、日興コーディアル証券、三井不動産、住友商事、日本ユニシス、三洋電機等、多数の企業の役員や経営アドバイザー[2]などとして活躍してきた。 政府審議会委員を歴任し、政府への発言は財政制度審議会(財務省)、中央教育審議会(文部科学省)、法制審議会(法務省)、科学技術学術審議会(文部科学省)、科学技術庁顧問などで寄せている。 2021年現在は、2007年8月に立ちあげた特定非営利活動法人ガイア・イニシアティブ代表として地球環境・エネルギー問題と地域活性化に取り組む[1]。 公益財団法人日本生産性本部「日本経営品質賞」委員会委員。"Club of Rome"(ローマクラブ)正会員、中部大学客員教授、至学館大学客員教授として教壇に立つ。主な賞は全国日本学士会より2018年度アカデミア賞「社会部門」賞を授かる。 著書に『私たち“地球人”』(集英社)、『心をつなぐ生き方』(サンマーク出版)など、監修・翻訳書として『Come On! 目を覚まそう! - ローマクラブ「成長の限界」から半世紀、環境危機を迎えた「人新世」をどう生きるか? 』など。 経歴
2000年以降2001年4月から2005年3月まで、日興フィナンシャル・インテリジェンス株式会社理事長。アサヒビール株式会社の取締役を2002年3月から2007年3月まで務める。三洋電機株式会社では2002年6月に取締役に就任し、2005年6月より2007年3月まで代表取締役会長の座にあった。この時期にはニッポン放送取締役にも任ぜられる(2004年6月~2005年3月)。 2002年、三洋電機の社外取締役に就任。会長就任[4][5][6][7][8]直後、「Think GAIA」[9]という環境コーポレートビジョンを掲げ、三洋電機の主要ビジネスの改革に着手、コンシューマー向けではeneloop(エネループ)ブランドやAQUA(アクア)などをビジョンに基づき当時強力に推進した。2007年2月経営改革半ばで、会長就任以前の2004年度決算の不適切処理が指摘され、第三者委員会の早期設置を主張するも主要株主の金融機関から強い反対を受け、経営の意見対立が激化。2007年3月19日付で三洋電機代表取締役会長を辞任する[10]。 2017年6月よりリゾートトラスト株式会社にて取締役、2018年6月には自然電力株式会社のアドバイザリーボードメンバーに招かれ、現業から範囲を広げている。 市民組織の活動地球環境問題解決を三洋電機という一企業を通じてというのではなく、幅広いステークホルダー(企業、市民、政府、NPO)によびかけ、より大きな貢献を実現するため「GAIA INITIATIVE(ガイア・イニシアティブ)」[1]というNPOを2007年に立上げ、翌2008年5月には元国連IPCC議長のラジェンドラ・パチャウリ[注釈 1]が代表を務めるインド「Teri」との協力を始め、同国の農村地帯へ太陽光発電ランタンを普及する『ソーラーランタン・プロジェクト』を開始。同8月より代表理事に就く[11]。 さらに、地球のためになにか一つできることをしようという「+1運動」を提唱し、より多くの人達が参加する活動を推進している。その一環に疲弊した森林をよみがえらせるプロジェクトを始め、どんぐりの発芽苗を賛同者に預けて育ててもらう活動を進めており、明治神宮の森を会場に「アースデイ いのちの森」を主催、2021年時点も実行委員長を務める[12]。またNPO法人ポイントグリーンには理事として参画[注釈 2]。 世界賢人会議のブダペストクラブに招かれ2010年より名誉会員として参加、"Club of Rome"(ローマクラブ)の正会員であり、2017年から2020年までエグゼクティブ・コミティメンバーを委嘱される。 教職1987年、中京女子大学(現・至学館大学)客員教授(コミュニケーション論)に招かれ、現任。2018年10月より中部大学 客員教授。 社会的活動NPO
主な受賞歴主な著作単著
共著
翻訳
監訳
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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