遠山明美
遠山 明美(とおやま あけみ)は1961年(昭和36年)のミス・ユニバース日本代表である。 来歴・人物東京都立川市出身。武蔵野女子学院短期大学家政科2年だった20歳のとき、ミス・ユニバース、ミス・ワールド、ミス・インターナショナルの各日本代表を選ぶ「ミス日本コンテスト」に応募し、東京代表となった。1961年(昭和36年)6月14日、大阪市のフェスティバルホールで開かれた全国大会でミス・ユニバース日本代表に選出された。ミス・ワールド日本代表には大阪代表の村上千恵、ミス・インターナショナル日本代表には兵庫代表の京藤敦子が選出された[2][3]。遠山は翌月にアメリカ合衆国のマイアミビーチで開かれた世界大会に出場したが、入賞を果たすことは出来なかった。 1965年(昭和40年)冷暖房設備会社の社長と結婚し、1974年(昭和49年)青木明美として週刊誌の座談会に参加した。その時点で3歳の娘がいた[4]。 脚注 |