谷口 由美子(たにぐち ゆみこ、1949年〈昭和24年〉1月9日[1] - )は、日本の翻訳家。ローラ・インガルス・ワイルダーの著作をはじめ、主にアメリカの児童文学の翻訳を行っている。本名、玉田由美子[1][注釈 1]。
来歴
山梨県甲府市出身[3]。1963年12月末に東京都世田谷区に転居、翌年4月都立駒場高等学校に進学[5]。上智大学外国語学部英語学科4年のとき、1970年から1971年にかけて交換留学生として米国のセント・メアリ・カレッジ(英語版)で学ぶ[6][3][注釈 2]。留学先の大学図書館に十代の初めごろから関心のあったローラ・インガルス・ワイルダー著の「小さな家シリーズ」(ローラ物語)の原書が所蔵されてあるのを見つけ、原書をこのときはじめて読み通している[注釈 3]。
1972年3月に大学を卒業[注釈 4]した後は、文部省大臣官房調査統計課外国調査係で事務補佐員として勤務[注釈 5]しながら、アメリカ児童文学の翻訳にも携わっていた[注釈 6]。当時は二足のわらじを履いていたと本人はふり返っている[6]。このころ、仕事上の偶然のつてを頼って児童文学翻訳家の恩地三保子に会い、自分の翻訳を見てもらって助言を得るなどの知遇を受けている[14]。
1974年10月にローラ・インガルス・ワイルダー作品の”ふるさと”(地理的歴史文化的背景)を歴訪する旅[注釈 7]を行った。帰国後は日本翻訳家協会に所属し[注釈 8]、翻訳したい本を出版社に紹介して回るなど翻訳活動に専念[14]。岩波書店で鈴木哲子が翻訳を担当していたローラ物語の続巻を引き継いだ(1983年6月に岩波少年文庫 ローラ物語7『わが家への道』を刊行)。その後、2000年には岩波少年文庫創刊50周年を機にローラ物語の改訳を刊行した。ワイルダー作品のほかにもビバリー・クリアリーなどの児童文学の翻訳が多い。
学生時代に上智大学管弦楽団に所属して、ヴィオラ・パートを担当していた[注釈 9]。卒業後も大学OGとして非常勤講師を務めるなどのつながりがある[19]。
著書
企画
これらは、いずれも谷口由美子が企画構成を行い、そのうえでウィリアム・T・アンダーソン(英語版)が書いたテキスト文を谷口が翻訳したもので、通常の翻訳ものの場合に先に原著が海外で出版されてからその日本語版が刊行されるのとは異なっている。
- 『大草原の小さな家――ローラのふるさとを訪ねて』ウィリアム・T・アンダーソン文、谷口由美子構成・訳・文、レスリー・A・ケリー写真(求龍堂〈求龍堂グラフィックス〉 1988年/新装版、1995年/増補改訂版、2013年)[注釈 10]
- 『サウンド・オブ・ミュージックの世界――トラップ一家の歩んだ道』ウィリアム・T・アンダーソン文、谷口由美子構成・訳・文、デイヴィッド・ウェイド(wikidata)写真(求龍堂〈求龍堂グラフィックス〉、1995年)
主な翻訳
ビバリー・クリアリー作品(全・あかね書房)
- 『子ねずみラルフのぼうけん』(1976年)
- 『子ねずみラルフ第二のぼうけん』(1977年)
- 『ヘンショーさんへの手紙』(1984年)
- 『子ねずみラルフ家出する』(1985年)
- 『リー・ボッツの日記――走れ、ストライダー』(1993年)
- ローラ・インガルス・ワイルダー作品
ローラ物語(全5巻・岩波少年文庫、2000年)[注釈 11]
- 『長い冬』
- 『大草原の小さな町』
- 『この楽しき日々』
- 『はじめの四年間』
- 『わが家への道――ローラの旅日記』[注釈 12](初刊:岩波書店〈岩波少年文庫〉、1983年[注釈 13])
ワイルダー作品・その他
- 『大草原のおくりもの――ローラとローズのメッセージ』ローズ・ワイルダー・レイン共著、ウィリアム・T・アンダーソン編(角川書店、1990年)
- 『《絵本・大草原の小さな家 1》おおきなもりのふゆ』(文渓堂、1996年)絵:ルネ・グレーフ(wikidata)
- 『ようこそローラのキッチンへ――ロッキーリッジの暮らしと料理』ウィリアム・T・アンダーソン共著、レスリー・A・ケリー写真(求龍堂、1996年)
- 『《絵本・大草原の小さな家 4》まちへいく』(文渓堂、1997年)絵:ルネ・グレーフ
- 『大草原の旅はるか』(世界文化社、2007年)
- 『大草原のローラ物語――パイオニア・ガール』パメラ・スミス・ヒル(wikidata)解説・注釈(大修館書店、2018年)
- その他
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- 『秘密の花園1――ふきげんな女の子』
- 『秘密の花園2――動物と話せる少年』
- 『秘密の花園3――魔法の力』
など多数。
脚注
注釈
- ^ 出生名は谷口由美子であるが、1976年に結婚。
- ^ 出典に記載の「セント・メアリ・カレッジ」と同名の教育機関は米国内に複数あるが(英語版のSaint Mary's Collegeの項目を参照)、カンザス州にあるカトリック系の大学とのことである[6]。
- ^ 当時に翻訳化されていたものが「長い冬」や「大草原の小さな町」などまだ少なく、日本国内で触れられる作品が限られていた(ローラ・インガルス・ワイルダー#作品の項目を参照)。なお、このときの原書は第1巻(邦題「大きな森の小さな家」)から第8巻(邦題「この楽しき日々」)までの8冊であって、未刊の第9巻(邦題「はじめの四年間」)は含まれていない。
- ^ 1年間アメリカに交換留学していたため、同級生よりも1年遅れで卒業。
- ^ 英語関係の仕事に就いていたとのこと。のちに1974年に上智大学管弦楽団の西ドイツへの演奏旅行参加(同年9月)を経由してローラ・インガルス・ワイルダー巡礼の旅に出るまでに、同年8月末に退職。
- ^ このときすでに1973年にウィリアム・ペン・デュボアの絵本『とべ!まほうのきかんしゃ』の翻訳を文研出版から刊行し、また、1974年に小学館からも少年少女世界の名作シリーズの第53巻の翻訳(ドーリティ(英語版)作「ケンタッキーの勇者」の部分を担当)を出版して、兼業翻訳家としてデビューを果たしている。
- ^ 「ローラ・インガルス・ワイルダー巡礼」と呼称されている。その後も1987年、1990年、……と再三「巡礼」を行っているが、最初の1974年の「巡礼」は、出国してからの西ドイツへの演奏旅行やカナダのプリンス・エドワード島への立ち寄りを含め、およそ50日間にわたる長大な旅であった。なお、本文中の”ふるさと”という表現は出典の中で著者自身が用いている。一般的に、例えば「心のふるさと」のようにファン心理にとっての”聖地”(メッカ)を表す言葉でもある。
- ^ ただし、大学3年のときに学生会員として入会していた。
- ^ 2023年時点でもヴァイオリニストの福山陽子、ピアニストの菅原真理子との「大草原の風トリオ」を組む[18]。
- ^ 1988年に刊行された『大草原の小さな家――ローラのふるさとを訪ねて』は、米国において逆輸入する形で1990年にその英語版がハーパー・ペレニアル社(英語版)から刊行された。出典にその書名は記されていないが、William Andersonの項目を参考にすると『Laura Ingalls Wilder country』のようである(「Laura Ingalls Wilder country」の目録レコード - アメリカ合衆国議会図書館)。なお、1990年の英語版の著者等の中に谷口由美子の名は入っていない。
- ^ ローラ物語(小さな家シリーズ)の本来の1巻から5巻までにあたる前半の翻訳本は、今日でも増刷されているものとしては福音館書店から刊行されており(福音館文庫「インガルス一家の物語」1 - 5)、岩波少年文庫のシリーズの中に含まれていない。恩地三保子#ローラ・インガルス・ワイルダーの項目を参照。
- ^ 娘ローズがのちに書いた当時のワイルダー家の生活の記録が含まれる点で、ローズが共著者にあたる。
- ^ なお、2000年の新版では訳文の手直しが行われた。訳語も例えば1983年版では「イナゴ」(30頁)や「ハヒロハコヤナギ(英語版)」(46頁)であったのが、2000年版ではそれぞれ「バッタ」(28頁)や「ポプラ」(46頁)に修正された。
出典
参考文献
外部リンク