諏訪バイパス
諏訪バイパス(すわバイパス)は、長野県茅野市から同県諏訪市を経由し、同県諏訪郡下諏訪町にかけて計画・整備されている国道20号バイパスである。 現在は茅野市側の延長約3.1 kmのみ供用しており、下諏訪岡谷バイパス側の延長約5.6 kmが事業中、残る中間部の延長4.7 km区間は未事業化である。 概要当該道路は諏訪盆地における国道20号現道の慢性的な渋滞を分散・解消させる為、1970年代に茅野市から岡谷市に至る全長19.2 kmの道路として計画された[1]。1971年(昭和46年)にルート案を公表し、翌1972年(昭和47年)12月には茅野市宮川から下諏訪町東町中の国道142号接続部までの14.6 kmの都市計画を決定[1]。 このうち茅野市宮川の中河原北交差点から諏訪市四賀の飯島交差点までの区間は1981年(昭和56年)の中央自動車道諏訪IC開設に合わせ、インターチェンジへのアクセス向上を図る「諏訪インター関連事業」として同年3月と1996年(平成8年)7月にそれぞれ暫定2車線で供用された[2]。この区間の用地は将来的に4車線拡幅できるよう用地確保されている。 一方、諏訪市四賀から下諏訪町東町中までの約11 km区間においては、一部地域において「地域が分断される」との声が上がるなど計画ルートの地元理解が得られず、長期間に渡り事業の進展が見られなかった事から、1991年(平成3年)に国土交通省が計画の白紙化を表明するに至った[3]。 しかしながら、当該区間は幹線国道の一部を成す関係で大型車等の往来も多く、狭隘・屈曲区間が続く域内にはJR中央本線との踏切が2箇所存在するなど、物流ネットワークのボトルネックとなる状況が続いた[2]。 地域では、多発する渋滞やそれに伴う追突事故の増加、第3次救急医療施設である諏訪赤十字病院へのアクセス強化が喫緊の課題となっており、加えて2006年(平成18年)7月の豪雨では域内の中央自動車道と国道20号が共に全面通行止となるなど、その脆弱性も指摘された[2][注釈 1]。 こうした状況を踏まえ、国道20号の安全性・定時制を確保して域内の「命の道」としての機能を守り、産業・観光面の振興をインフラ面から支えるべく、2013年(平成25年)5月に国土交通省は事業化に向けてルート等を再度検討する計画段階評価手続きに入る事を表明[3]。2014年(平成26年)7月には現道拡幅案、当初の都市計画ルート案、都市計画案より山側を切土や盛土・橋梁・トンネルでバイパスする山側ルート案の3案を提示し、同年9月と10月に実施したアンケートの結果も踏まえた上で比較検討を行い、第3案の山側バイパス案を整備計画とする方針を示した[4]。2016年(平成28年)4月開催の関東地方整備局関東地方小委員会では国土交通省方針が了承されており、今後は正式な対応方針決定を経て3年程度の時間を要し環境影響評価を行うと同時に都市計画変更等の手続きが取られ、詳細ルート・設計を決定する事となる[4]。将来的には、起点側(甲府・東京方面)で接続する坂室バイパスや、終点側(岡谷方面)で接続する下諏訪岡谷バイパスと一体的に諏訪地域における広域ネットワークを形成し、諏訪湖を挟んで南側を通る中央道と北側を通る国道20号とでダブルネットワークが構築される予定である。 2021年(令和3年)5月、事業者側の環境アセス準備書に対する住民意見の意見書再募集の際、前回の意見書のほとんどが事業推進に否定的だったいう理由から、長野県下諏訪町が事務局を務めるバイパス建設推進団体が「県の求め」という表現を用いて賛成意見を募る要請書を出していたことが分かった。町は意見書の内容を第三者にもらした点も明らかになった[5]。 2016年(平成28年)11月の対応方針決定により計画段階評価が完了し、2023年(令和5年)1月に都市計画決定、2023年度(令和5年度)に終点側が事業化された[6][7]。 路線データ
歴史
地理通過する自治体交差する道路
脚注注釈出典
関連項目外部リンク |
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