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この項目では、岩手県東磐井郡にあった藤沢町について説明しています。その他の用法については「藤沢 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
藤沢町(ふじさわちょう)は、2011年(平成23年)まで岩手県東磐井郡にあった町。現在は一関市のうち、藤沢町を冠する各大字にあたる。
地理
自然
- 山岳:保呂羽山、高鳥兎山、献上山など
- 河川:北上川、黄海川など
- ダム:金越沢ダム(ほろわ湖)、相川ダム(英語版)(まさぼう湖)、千松ダム(せんまつ湖)
歴史
年表
一関市との合併協議
- 2004年(平成16年)に旧・一関市を中心とした両磐地区の合併機運に賛同し、新市への参画に加わる道を模索したが、当時は藤沢町は国営農地開発事業等により債務が過大で、合併した場合に新市への負担が大きいと判断されたことなどから、合併協議に加わることができなかったため、2005年(平成17年)の新・一関市誕生は藤沢町抜きで行われた。以降町は宮城県(登米市・気仙沼市)と一関市に挟まれ、孤立した状態にあったが、2010年(平成22年)4月に「一関市・藤沢町合併協議会」が設立[4]。2011年(平成23年)3月に岩手県議会で合併議案が可決され、5月に官報で告示された。
行政
町役場前には1990年(平成2年)11月、町民や自治会が持ち寄った石を積み重ねた記念碑「希望のケルン」がある[5]。
首長
歴代村長
代 |
氏名 |
就任日 |
退任日 |
備考
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1 |
斎藤権平 |
1889年(明治22年)6月3日 |
1897年(明治30年)5月28日 |
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2 |
藤本真弘 |
1897年(明治30年)5月29日 |
1899年(明治32年)2月25日 |
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3 |
熊谷左一郎 |
1899年(明治32年)4月25日 |
1899年(明治32年)10月11日 |
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4 |
佐伯秀八郎 |
1899年(明治32年)10月20日 |
1926年(大正15年)5月31日 |
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歴代町長
代 |
氏名 |
就任日 |
退任日 |
備考
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藤沢町(1926年 - 1955年)
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1 |
佐伯秀八郎 |
1926年(大正15年)6月1日 |
1927年(昭和2年)12月19日 |
村長より留任
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2 |
高橋孝三郎 |
1928年(昭和3年)2月25日 |
1929年(昭和4年)12月10日 |
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3 |
橋本弥充 |
1929年(昭和4年)12月16日 |
1932年(昭和8年)12月10日 |
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4 |
千葉需 |
1934年(昭和9年)1月28日 |
1942年(昭和17年)1月27日 |
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5 |
及川孝一 |
1942年(昭和17年)1月28日 |
1946年(昭和21年)1月27日 |
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6 |
五十嵐三五郎 |
1946年(昭和21年)4月10日 |
1946年(昭和21年)11月12日 |
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7 |
阿部武彦 |
1947年(昭和22年)4月7日 |
1955年(昭和30年)3月31日 |
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新 藤沢町(1955年 - 2011年)
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1
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岩淵道信
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1955年(昭和30年)5月
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1963年(昭和38年)5月
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元黄海村長
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2
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皆川金治
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1963年(昭和38年)5月
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1971年(昭和46年)5月
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3
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佐々木要一郎
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1971年(昭和46年)5月
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1978年(昭和53年)12月
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4
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佐藤守
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1979年(昭和54年)1月28日
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2006年(平成18年)12月
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5
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畠山博
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2007年(平成19年)1月
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2011年(平成23年)9月25日
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対外関係
姉妹都市
2008年(平成20年)3月にクイーンズランド州内の自治体再編が州政府によって行われ、「国際友好親善の町」として提携(1993年7月)していたデュアリンガ町Duaringa Shireが隣接する3自治体と合併し、新たな自治体(セントラルハイランズ市 )として誕生した。このため、両市町では2008年(平成20年)8月29日にオーストラリアで、2008年(平成20年)11月3日には日本で提携調印式を行い、新たな交流を誓い合った。両市町では、前回の提携(1993年)以来相互に中学生、高校生などによるホームステイ交流をはじめ、息の長い草の根交流を続けていた。
地域
人口
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藤沢町と全国の年齢別人口分布(2005年時点)
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藤沢町の年齢・男女別人口分布(2005年時点)
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藤沢町の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より
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各地区の人口・世帯数
2011年9月時点の各地区の人口と世帯数[6]。
増減率は5年前の2006年9月時点との比較[7]。
地区名
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人口
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世帯
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男性
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女性
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計
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増減
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世帯数
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増減
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藤沢
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不明
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2,933人
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-10.14%
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1,016世帯
|
-3.69%
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黄海
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2,435人
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-7.59%
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726世帯
|
-0.27%
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八沢
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2,407人
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-3.41%
|
789世帯
|
1.67%
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保呂羽・大籠
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1,348人
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-9.59%
|
419世帯
|
-3.23%
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合計
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4,487人
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4,636人
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9,123人
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-7.68%
|
2,950世帯
|
-1.40%
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公的機関
警察
岩手県警察
消防
両磐地区消防組合
医療
公共施設
主な施設を掲載。
図書館
文化施設
公民館
- 運動施設
藤沢地区
- 藤沢体育館
- 藤沢スポーツプラザ
- 藤沢テニスコート
- 藤沢運動広場
徳田地区
- ニコニコパーク:藤沢B&G海洋センター、ニコニコドーム、すぱーく藤沢
- コミュニティ体育館徳田ふれあいランド(旧・町立徳田小学校体育館)
新沼地区
保呂羽地区
大籠地区
-
保呂羽コミュニティ体育館(2023年10月)
-
大籠コミュニティ体育館(2023年10月)
経済
第一次産業
農業
畜産
町内に本社及び拠点事務所を置く主な企業
- SHOEI(ヘルメット)
- 大昌電子
- アーク(農業サービス)
- 長島製作所
- 和興ニット
- オージェイテキスタイル
- マーナーコスメチックス
郵便
郵便局
簡易郵便局
教育
町内に高等学校は所在しない。最寄りの高校は岩手県立千厩高等学校(一関市千厩町)。
高等学校
※以下は廃校
中学校
※以下は廃校
- 藤沢町立大津保中学校(1956年・大籠中学校と保呂羽中学校へ分割)
- 藤沢町立曲田中学校(1963年・黄海中学校へ統合)
- 藤沢町立藤沢中学校(1969年・新設の藤沢中学校〈2代目〉へ統合)
- 藤沢町立大籠中学校(同上)
- 藤沢町立保呂羽中学校(同上)
- 藤沢町立八沢中学校(同上)
- 藤沢町立藤沢中学校〈2代目〉(2004年・新設の藤沢中学校〈3代目〉へ統合)
- 藤沢町立黄海中学校(同上)
小学校
-
元藤沢中学校の藤沢小学校(2024年1月)
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黄海小学校(2024年2月)
-
新沼小学校(2023年10月)
※以下は廃校
- 藤沢町立黄海小学校中山分校(1968年・黄海小学校へ統合)
- 藤沢町立黄海小学校深萱分校(1973年・藤沢小学校〈旧〉へ統合)
- 藤沢町立藤沢小学校西口分校(同上)
- 藤沢町立藤沢小学校本郷分校(同上)
- 藤沢町立曲田小学校(1973年・黄海小学校へ統合)
- 藤沢町立藤沢小学校(2009年・新設の藤沢小学校〈新〉へ統合)
- 藤沢町立徳田小学校(同上)
- 藤沢町立保呂羽小学校(同上)
- 藤沢町立大籠小学校(同上)
-
旧藤沢小学校の体育館(2024年1月)
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徳田小学校(2024年4月)
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保呂羽小学校(2023年10月)
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大籠小学校(2023年10月)
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曲田小学校の校門(2024年6月)
未就学児施設
保育園
- 藤沢町立藤沢保育園〈2代目〉
- 藤沢町立黄海保育園
- 藤沢町立新沼保育園(旧:藤沢町八沢保育園)
幼稚園
※以下は廃止
- 藤沢幼稚園(1980年・町立藤沢幼稚園の開園にあわせ、閉園)
- 藤沢町立西口保育所(1984年・藤沢保育園へ統合)
- 藤沢町立本郷児童館(1986年・藤沢保育園へ統合)
- 藤沢町立藤沢保育園〈初代〉(2009年・新設の藤沢保育園へ統合)
- 藤沢町立徳田保育園(同上)
- 藤沢町立保呂羽保育園(同上)
- 藤沢町立大籠保育園(同上)
交通
鉄道
町内には鉄道はない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、千厩駅(JR東日本・大船渡線)。
路線バス
岩手県交通が運行している。
- 2005年(平成17年)までは上記岩手県交通路線バスのほか、宮交登米バス津谷 - 佐沼間の路線バスが大籠地区の千松付近を通っていた。
道路
一般国道
県道
主要地方道
県道
名所・旧跡・観光
文化・名物
祭事・催事
- 藤沢野焼祭(8月) - 考古学者の塩野半十郎が提唱し、藤沢焼の窯元・本間伸一が中心となって1976年(昭和51年)に始まった、縄文野焼きを再現した祭りで、約1,000点の作品を窯で焼き上げる[13][14]。
- 藤沢町民劇場(2月) - 1999年(平成11年)に旗揚げされた藤沢町民劇団が中心となり、2000年より毎年2月に公演[15]。
名産・特産
出身著名人
関連人物
縄文の炎・藤沢野焼祭の関係者
脚注
注釈
- ^ 1980年に閉園した私立の「藤沢幼稚園」とは異なる。
出典
参考文献
- 藤沢町教育委員会 編『藤沢町史 現代編』藤沢町、2011年9月25日。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
藤沢町に関連するカテゴリがあります。
外部リンク