八沢村(やさわむら)は、1955年(昭和30年)まで岩手県東磐井郡にあった村。現在の一関市藤沢町砂子田・藤沢町徳田・藤沢町新沼・藤沢町増沢にあたる。
地理
自然
沿革
- 1875年(明治8年)10月17日 - 水沢県による村落統合にともない、砂子田村・徳田村・新沼村・増沢村が合併して八沢村となる。
- 1883年(明治16年)1月 - 八沢村を廃止し、元の砂子田村・徳田村・新沼村・増沢村に4分割する。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、再び砂子田村・徳田村・新沼村・増沢村の計4か村が合併して新制の八沢村が発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 藤沢町・黄海村および大津保村の一部(大籠・保呂羽)と合併し、新制の藤沢町となる。
行政
歴代村長
代
|
氏名
|
就任日
|
退任日
|
備考
|
1 |
千葉喜平太 |
1889年(明治22年)5月26日 |
1893年(明治26年)5月25日 |
|
2-3 |
菅野操 |
1893年(明治26年)5月26日 |
1897年(明治30年)10月16日 |
|
4 |
佐藤亮助 |
1897年(明治30年)10月26日 |
1900年(明治33年)4月1日 |
|
5 |
菅野操 |
1900年(明治33年)4月23日 |
1903年(明治36年)10月17日 |
再任
|
6-8 |
千葉小平太 |
1903年(明治36年)11月18日 |
1914年(大正3年)1月24日 |
|
9 |
星丑彦 |
1914年(大正3年)2月6日 |
1918年(大正7年)2月5日 |
|
10 |
伊藤亭治 |
1918年(大正7年)3月29日 |
1918年(大正7年)12月5日 |
|
11 |
高橋正躬 |
1919年(大正8年)4月2日 |
1920年(大正9年)12月7日 |
|
12-13 |
千葉小平太 |
1921年(大正10年)2月5日 |
1927年(昭和2年)9月19日 |
再任
|
14 |
岩山剛 |
1927年(昭和2年)10月4日 |
1931年(昭和6年)10月3日 |
|
15 |
菊地運治郎 |
1931年(昭和6年)10月13日 |
1935年(昭和10年)10月12日 |
|
16 |
佐藤季男 |
1935年(昭和10年)10月14日 |
1939年(昭和14年) |
|
17 |
千葉小平太 |
1939年(昭和14年)11月5日 |
1943年(昭和18年) |
三任
|
18 |
佐藤季男 |
1943年(昭和18年)12月18日 |
1946年(昭和21年)11月28日 |
再任
|
19-20 |
伊藤正敏 |
1947年(昭和22年)4月5日 |
1954年(昭和29年)1月18日 |
|
21 |
佐藤季男 |
1954年(昭和29年)2月20日 |
1955年(昭和30年)3月31日 |
三任
|
教育
村内に高等学校は所在しない。
最寄りの高校は岩手県立藤沢高等学校(藤沢町藤沢)。
中学校
※以下は廃校
- 八沢村立八沢中学校新沼分教室(1949年11月・本校へ統合)[1]
- 八沢村立八沢中学校徳田分教室(同上)[1]
小学校
出身著名人
脚注
出典
参考文献
- 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957年)
関連項目