草川信
草川 信(くさかわ しん、1893年2月14日 - 1948年9月20日)は、日本の作曲家。 生涯長野県上水内郡長野町(現長野市)に旧松代藩士で銀行員の草川一成の四男として生まれる。長野師範学校附属小学校(信州大学教育学部附属長野小学校)で福井直秋に薫陶を受け、旧制長野中学(長野県長野高等学校の前身)を経て、東京音楽学校(東京芸術大学音楽学部の前身)に進むとヴァイオリンを安藤幸と多久寅に、ピアノを弘田龍太郎に師事する[2]。 1917年卒業後、渋谷区立小学校訓導、東京府立第三高等女学校(東京都立駒場高等学校と東京都立芸術高等学校の前身)教諭、東京市杉並高等家政女学校(東京都立荻窪高等学校の前身)、東京音楽学校教務嘱託など教職の傍ら、東京音楽学校管弦楽団などで演奏家として活動[2][3]。その後、雑誌『赤い鳥』に参加し童謡の作曲を手がける。子の草川宏[4]、実兄の草川宣雄(1880年9月9日 - 1963年)[5]と青木友忠(1887年 - 1921年6月28日)[6]、甥(宣雄の子)の草川啓も同校卒業生で、宣雄は東京の富士見町教会オルガニストであった。 同郷に河野通勢がいる(同じ小学校に在籍していた)。故郷の長野市往生寺境内に「夕焼けの鐘」「夕焼小焼」の歌碑がある。 主な作品声楽曲
室内楽曲脚注
参考文献
外部リンク
|