腰越町

こしごえまち
腰越町
廃止日 1939年11月3日
廃止理由 新設合併
腰越町鎌倉町鎌倉市
現在の自治体 鎌倉市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
鎌倉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 5,523
国勢調査、1935年10月1日)
隣接自治体 深沢村、鎌倉町、片瀬町村岡村
腰越町役場
所在地 神奈川県鎌倉郡腰越町腰越
座標 北緯35度18分24秒 東経139度29分36秒 / 北緯35.30667度 東経139.49347度 / 35.30667; 139.49347座標: 北緯35度18分24秒 東経139度29分36秒 / 北緯35.30667度 東経139.49347度 / 35.30667; 139.49347
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腰越町(こしごえまち)は、神奈川県の中央南部、鎌倉郡に属していた

地理

  • 河川:神戸(ごうど)川、行合(ゆきあい)川
  • 岬:小動岬

歴史

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により、腰越村および津村が合併し腰越津村が成立する。
  • 1903年(明治36年)6月20日 - 江之島電氣鐵道(現在の江ノ島電鉄線)片瀬 - 行合橋(現在の七里ヶ浜駅)間開業。追加停留所は土橋、神戸橋(ごうどばし)、谷戸(現在の腰越駅)、満福寺前、腰越、袂ヶ浦、日坂(にっさか。現在の鎌倉高校前駅)、谷沢、七里ヶ浜、峰ヶ原、田辺(現在の七里ヶ浜駅)および行合橋(ゆきあいばし)。
  • 1903年(明治36年)7月17日 - 江之島電氣鐵道の行合橋 - 追揚(現在廃止)間開業。追加停留所は追揚(おいあげ)。
  • 1915年大正4年)10月18日 - 横浜電気江之島電気鉄道部(現在の江ノ島電鉄線)谷沢停留所廃止。田辺を行合に、行合橋を大境に改称。
  • 1918年(大正7年)6月24日 - 横浜電気江之島電気鉄道部の神戸橋停留所廃止。腰越を腰越浜上に、袂ヶ浦を恵風園前に改称。
  • 1920年(大正9年)4月1日 - 片瀬鎌倉線(現在の国道134号)および片瀬大船線(現在の神奈川県道304号腰越大船線)が県道認定される。
  • 1929年昭和4年) - 江ノ島電気鉄道(現在の江ノ島電鉄線)の土橋を腰越に、腰越浜上を小動に改称。
  • 1931年(昭和6年)1月1日 - 町制施行し、腰越町になる。
  • 1933年(昭和8年) - 町内には、水産業340世帯、専業農家70世帯、兼業農家95世帯[1]が所在。
    水産業は、サバカツオイワシクロダイの漁を主としていた。
  • 1935年(昭和10年) - 総世帯数は1,053となる。江ノ島電気鉄道の大境 - 追揚間にキャンプカー前臨時停留所を開設。
  • 1938年(昭和13年)12月 - 鎌倉町藤沢町で、片瀬町と腰越町を合併するための争奪戦が発生。
  • 1939年(昭和14年)11月3日 - 鎌倉町と合併、市制施行し鎌倉市となる[2]
    腰越町域は、鎌倉市腰越・津となる。

交通

鉄道路線

道路

関連項目

脚注

  1. ^ 町勢要覧
  2. ^ 同日、内務省告示第515号

関連項目