聖母教会 (ブルッヘ)
聖母教会(せいぼきょうかい)は、ベルギーのブルッヘ(仏:ブリュージュ)にある、ローマ・カトリック教会の教会(教区教会)。 名称についてブルッヘを含む現在のベルギー北部(フランデレン地域)は、フラマン語(オランダ語系)圏である。しかしながら、歴史的にフランス語が公用語として用いられた経緯(言語戦争#ベルギー)から、「ノートルダム教会」が用いられることも多い。そのため、日本語文献でも「聖母教会」「ノートルダム教会」等の表記の揺れがある。 本項目では、フランダース政府観光局が日本語訳の「聖母教会」を採用している[1]ことから、以下「聖母教会」表記を原則として記述する。 各言語での表記は以下の通りで、いずれも「我らが貴婦人の教会」すなわち聖母マリアに献堂されたことを意味する。 概要ブルッヘを代表する建築物[2]で、非常に高い尖塔を特徴とする。 ブルッヘの聖母子像ミケランジェロ作の彫刻「ブルッヘの聖母子像」があることが特に有名である。ミケランジェロがピエタを完成させた後の作品で、1506年に商人のヤン・ムスクロンが購入して寄進した[3]。カッラーラ産の大理石製で、黒大理石の壁龕の中に安置されている[3]。 歴史10世紀以前から存在し、12世紀初頭にロマネスク様式で建築されたが1116年に焼失した[2]。「トゥルネー・ゴシック」様式で改築された。北側の尖塔は崩壊後に、第二次市壁と同じく西フランデレン産の煉瓦を用いて、1361年に完成した[2]。 尖塔は122mの高さを誇り、アントウェルペンの聖母大聖堂(123m)に抜かれる1518年まで、フランデレン地域で最も高い建築物だった[2]。1519年に落雷により損傷した後、1534年に再建され、現在の尖塔は1634年に修復されたものである[2]。 1425年、裕福な貴族:フルートフース家が教会に隣接する形で個人邸宅を建て、1472年にはロードウェイク・ファン・フルートフースが、教会の許可を得て教会北側に私有礼拝室を設け、邸宅から直接移動できるようになっていた[4]。 教会上部のパイプオルガンは、1720年代に製作されたものである[4]。 ギャラリー外観内部
美術品
脚注注釈出典参考文献
関連項目 |
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