聖母大聖堂 (アントウェルペン)
聖母大聖堂(せいぼだいせいどう、蘭: Onze-Lieve-Vrouwekathedraal)は、ベルギーのアントウェルペンにある、ローマ・カトリック教会の教会(司教座聖堂)。 名称についてアントウェルペンを含む現在のベルギー北部(フランデレン地域)は、フラマン語(オランダ語系)圏である。しかしながら、歴史的にフランス語が公用語として用いられた経緯(言語戦争#ベルギー)から、「ノートルダム大聖堂」が用いられることも多い。そのため、日本語文献でも「聖母(マリア)大聖堂」「ノートルダム大聖堂」あるいは地名を冠して「アントワープ(の)大聖堂」等の表記の揺れがある。 本項目では、フランダース政府観光局が日本語訳の「聖母大聖堂」を採用している[2]ことから、以下「聖母大聖堂」表記を原則として記述する。 各言語での表記は以下の通りで、いずれも「我らが貴婦人の聖堂」すなわち聖母マリアに献堂されたことを意味する。
概要
世界遺産:ベルギーとフランスの鐘楼群を構成する建築物のひとつ。アントウェルペン市内では、市庁舎と共に登録されている。 ピーテル・パウル・ルーベンスによる『降架』を題材にした三連祭壇画で知られる。さらに日本では、同名小説を原作としたアニメーション作品『フランダースの犬』により、主人公の少年が観賞を熱望した絵画及び教会として有名になった。 歴史12世紀の聖堂を前身とし、1352年にゴシック様式で建設が開始された[3]。ジャン・アッペルマンとペーター・アッペルマン父子により[1]、徐々に建設が進んだ後、1472年から1500年にかけヘルマン・デ・ワーゲマーケレの設計により二つの側廊が完成した[3]。ヘルマンの息子ドミーンが、アントウェルペンの経済発展を背景に、建築を一挙に進めた[3]。 1518年に完成した尖塔(北塔)は123mあり、ブルッヘの聖母教会の122mを超え、ネーデルラント(低地地方)における最も高い建築物となった[4]。1521年に、南塔を除き、完成した。神聖ローマ皇帝カール5世(ブルゴーニュ公位を継承、兼スペイン王)は、1521年に尖塔を見て「一つの王国に値する」と称賛した[5]。アントウェルペンの発展を象徴する建築物として、絵画の背景にも描かれた[6]。 1533年に火災により被害を受けた[7]。1559年にアントウェルペン教区の設立により、司教座聖堂となる。しかし、1566年にはゴイセン(ネーデルラント17州におけるカルヴァン派)の聖像破壊運動により、美術品が破壊された[7]。 17世紀初頭、ピーテル・パウル・ルーベンスがアントウェルペンに戻ると、アルブレヒト大公とイザベラ大公妃の宮廷画家となり、多数の祭壇画を制作した[8]。本聖堂に納められた『キリストの昇架』、そして『キリストの降架』や『聖母被昇天』がこの時期の作品である。 1801年のコンコルダートにより、司教区が再編され、司教座を失った。1961年に、アントウェルペン司教区が再設立されたことを受け、再び司教座聖堂となった。 1872年に、英国出身の女性作家ウィーダが『フランダースの犬』を出版した。作中には、本聖堂とルーベンス作品がモチーフとして登場する。2003年になって、聖堂前に記念碑が立てられ、さらに2017年に新たな記念碑が建立されている(フランダースの犬の項を参照)。 美術品以下のルーベンス作品の他、美術家ヤン・ファーブルによる彫刻作品『十字架をもつ男』なども置かれている[9]。 ギャラリー外観内部美術品
周辺脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク |