経堂駅(きょうどうえき)は、東京都世田谷区経堂二丁目にある、小田急電鉄小田原線の駅である。駅番号はOH 11。副駅名は「東京農業大学 最寄駅」[1]。
歴史
以前は経堂工場・経堂検車区が併設されていた。駅東側の踏切を挟み、東側に検車区が、西側に工場があった。複々線化事業の際に検車区は世田谷区喜多見に新設された喜多見検車区へ移転したが、移転後もその名残りで新宿方に電留線があり、一部回送列車が使用している。検車区跡地は再開発に伴い、商業施設・賃貸住宅等を擁する「経堂テラスガーデン」が建設された。
年表
駅名の由来
古来、駅所在地辺りを「経堂在家村」と称したことから、「経堂」と名付けられる。
駅構造
島式ホーム2面5線を有する高架駅であり、上り線にはホームに接しない通過線と、新宿方向上り緩行線左側に留置線が2線ある(線路は4番ホームや新宿方向下り緩行線以外と繋がっている)。発車標は2004年(平成16年)12月にフルカラーLED式のものが改札口およびホームに新設され2005年(平成17年)1月より使用されており、駅自動放送は列車種別・行先・編成両数等の詳細案内があるタイプが導入されている。
朝晩には当駅が始発・終点となる列車が設定されている[注 1]。また、2012年(平成24年)3月17日ダイヤ改正から、上り列車のみ当駅で種別を各停から準急へ変更する列車も夜間に設定された[注 2]。長らく当駅で急行・準急が特急を通過待ちするダイヤは設定されなかったが、2016年(平成28年)ダイヤ改正後は午前中に当駅へ停車する急行新宿行1本が特急通過待ちを行うこととなった。
複々線完成後の2018年(平成30年)3月17日ダイヤ改正では、朝ラッシュ時7:30頃新宿到着の場合の所要時間が20分から15分へ短縮、7:10分頃代々木上原到着の場合の所要時間が11分から6分へ短縮された。複々線完成前の2017年(平成29年)時点では、昼間に停車する急行に乗車した場合、代々木上原までは複々線完成後と同等の6分、新宿までは複々線完成後の朝ラッシュよりも短い13分程度で到着する一方、各停へ乗車した場合は、朝ラッシュ時同様それぞれ20分、11分程度の時間を要する[18]。
平日朝には、千代田線方面通勤準急と千代田線方面各停の緩急接続を行う。通勤準急は代々木上原駅で新宿行快速急行に連絡する。
なお、全時間帯において、ロマンスカーを除く千代田線方面直通列車は当駅から緩行線を走行する。
高架化前はホーム有効長が短く、10両編成列車は停車することが出来なかったため、千代田線直通準急は通過していた。高架化後は平日朝ラッシュ時上りを除く準急全列車が、2004年(平成16年)12月11日からは平日日中および土休日の終日に急行が停車するようになった。2018年(平成30年)3月17日より、朝ラッシュ時の準急から事実上名称が変更された通勤準急、および狛江・祖師ヶ谷大蔵・千歳船橋にも停車開始した新・準急全列車が当駅にも停車開始した。急行も早朝の全列車が停車するようになったが、朝ラッシュピーク時(当駅発7時頃 - 8時30分頃)上りには急行自体の運行がない。2022年(令和4年)3月12日ダイヤ改正より平日夕方時間帯下りを含め急行が終日停車するようになった。
高架下の改札横には、小田急トラベルの旅行代理店やセブンイレブン、スターバックスコーヒー、箱根そばがある。
のりば
ホーム |
路線 |
方向 |
軌道 |
行先[19]
|
1
|
小田原線
|
下り
|
緩行線
|
小田原・片瀬江ノ島方面
|
2
|
急行線
|
通過線
|
□小田原線
|
上り
|
急行線
|
(上り列車通過)
|
3
|
小田原線
|
上り
|
急行・緩行線
|
新宿・ 千代田線方面
|
4
|
緩行線
|
※下り東北沢駅 - 登戸駅間、上り向ヶ丘遊園駅 - 東北沢駅間急行線・緩行線は原則として以下の通り使い分けられている。
- 〔急行線〕
- □特急ロマンスカー・■快速急行・□通勤急行・■急行が使用する。成城学園前駅 - 当駅間のみ□通勤準急も使用する。
- 〔緩行線〕
- ■準急・■各停が使用する。□通勤準急も上記以外の区間で使用する。
- 但し、千代田線直通上り■急行は、当駅以東で緩行線を使用する。
当駅では1番ホーム・3番ホーム・留置線1本にそれぞれ10両編成の夜間滞泊が設定されている。
利用状況
2023年度(令和5年度)の1日平均乗降人員は79,305人である[小田急 1](小田急線全70駅中14位)。
近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は下表の通り。
年度別1日平均乗降・乗車人員[20]
年度
|
1日平均 乗降人員[21]
|
1日平均 乗車人員[22]
|
出典
|
1928年(昭和03年)
|
1,326
|
|
|
1930年(昭和05年)
|
2,834
|
|
|
1935年(昭和10年)
|
4,782
|
|
|
1940年(昭和15年)
|
9,760
|
|
|
[注 3]1946年(昭和21年)
|
16,748
|
|
|
1950年(昭和25年)
|
21,525
|
|
|
1955年(昭和30年)
|
27,802
|
|
|
1956年(昭和31年)
|
|
16,059
|
[* 1]
|
1957年(昭和32年)
|
|
14,902
|
[* 2]
|
1958年(昭和33年)
|
|
17,489
|
[* 3]
|
1959年(昭和34年)
|
|
18,781
|
[* 4]
|
1960年(昭和35年)
|
40,260
|
20,144
|
[* 5]
|
1961年(昭和36年)
|
42,707
|
21,467
|
[* 6]
|
1962年(昭和37年)
|
44,740
|
22,359
|
[* 7]
|
1963年(昭和38年)
|
45,252
|
22,656
|
[* 8]
|
1964年(昭和39年)
|
47,327
|
23,540
|
[* 9]
|
1965年(昭和40年)
|
47,512
|
23,644
|
[* 10]
|
1966年(昭和41年)
|
47,266
|
23,830
|
[* 11]
|
1967年(昭和42年)
|
47,852
|
24,110
|
[* 12]
|
1968年(昭和43年)
|
48,577
|
24,424
|
[* 13]
|
1969年(昭和44年)
|
49,850
|
25,006
|
[* 14]
|
1970年(昭和45年)
|
51,010
|
25,675
|
[* 15]
|
1971年(昭和46年)
|
53,416
|
27,253
|
[* 16]
|
1972年(昭和47年)
|
58,443
|
29,581
|
[* 17]
|
1973年(昭和48年)
|
59,973
|
30,329
|
[* 18]
|
1974年(昭和49年)
|
65,765
|
31,840
|
[* 19]
|
1975年(昭和50年)
|
64,797
|
32,134
|
[* 20]
|
1976年(昭和51年)
|
63,756
|
31,961
|
[* 21]
|
1977年(昭和52年)
|
61,857
|
31,739
|
[* 22]
|
1978年(昭和53年)
|
63,704
|
32,412
|
[* 23]
|
1979年(昭和54年)
|
63,770
|
32,528
|
[* 24]
|
1980年(昭和55年)
|
62,905
|
32,323
|
[* 25]
|
1981年(昭和56年)
|
64,337
|
32,216
|
[* 26]
|
1982年(昭和57年)
|
64,125
|
32,076
|
[* 27]
|
1983年(昭和58年)
|
64,085
|
32,455
|
[* 28]
|
1984年(昭和59年)
|
65,095
|
32,957
|
[* 29]
|
1985年(昭和60年)
|
66,104
|
33,665
|
[* 30]
|
1986年(昭和61年)
|
67,164
|
34,185
|
[* 31]
|
1987年(昭和62年)
|
67,166
|
34,191
|
[* 32]
|
1988年(昭和63年)
|
67,186
|
34,277
|
[* 33]
|
1989年(平成元年)
|
66,361
|
33,819
|
[* 34]
|
1990年(平成02年)
|
67,535
|
34,370
|
[* 35]
|
1991年(平成03年)
|
68,357
|
34,779
|
[* 36]
|
1992年(平成04年)
|
68,995
|
35,058
|
[* 37]
|
1993年(平成05年)
|
68,586
|
34,872
|
[* 38]
|
1994年(平成06年)
|
67,530
|
34,386
|
[* 39]
|
1995年(平成07年)
|
66,557
|
33,932
|
[* 40]
|
1996年(平成08年)
|
65,423
|
33,455
|
[* 41]
|
1997年(平成09年)
|
63,859
|
32,830
|
[* 42]
|
1998年(平成10年)
|
64,451
|
32,921
|
[* 43]
|
1999年(平成11年)
|
64,206
|
32,468
|
[* 44]
|
2000年(平成12年)
|
63,785
|
32,082
|
[* 45]
|
2001年(平成13年)
|
63,181
|
31,749
|
[* 46]
|
2002年(平成14年)
|
63,612
|
32,055
|
[* 47]
|
2003年(平成15年)
|
64,944
|
32,784
|
[* 48]
|
2004年(平成16年)
|
64,849
|
33,056
|
[* 49]
|
2005年(平成17年)
|
65,916
|
33,544
|
[* 50]
|
2006年(平成18年)
|
67,018
|
34,095
|
[* 51]
|
2007年(平成19年)
|
68,703
|
34,847
|
[* 52]
|
2008年(平成20年)
|
67,643
|
34,176
|
[* 53]
|
2009年(平成21年)
|
67,297
|
33,933
|
[* 54]
|
2010年(平成22年)
|
67,541
|
34,021
|
[* 55]
|
2011年(平成23年)
|
69,299
|
34,839
|
[* 56]
|
2012年(平成24年)
|
70,965
|
35,633
|
[* 57]
|
2013年(平成25年)
|
72,765
|
36,539
|
[* 58]
|
2014年(平成26年)
|
72,769
|
36,418
|
[* 59]
|
2015年(平成27年)
|
74,691
|
37,349
|
[* 60]
|
2016年(平成28年)
|
76,363
|
38,154
|
[* 61]
|
2017年(平成29年)
|
77,959
|
38,929
|
[* 62]
|
2018年(平成30年)
|
80,941
|
40,466
|
[* 63]
|
2019年(令和元年)
|
82,540
|
41,249
|
[* 64]
|
2020年(令和02年)
|
57,253
|
28,622
|
[* 65]
|
2021年(令和03年)
|
[小田急 2]67,898
|
|
2022年(令和04年)
|
[小田急 3]75,323
|
|
|
2023年(令和05年)
|
[小田急 1]79,305
|
|
|
駅周辺
周辺には学校が多く立地し、朝ラッシュ時はこれら学校に通学する乗客降車も多い。
バス路線
最寄停留所は「経堂駅」で、以下の路線が小田急バス若林営業所の路線バス運行を委託している小田急ハイウェイバスにより運行されている。
隣の駅
- 小田急電鉄
- 小田原線
- ■快速急行・□通勤急行
- 通過
- ■急行・□通勤準急(平日朝上りのみ運転)
- 下北沢駅 (OH 07) - 経堂駅 (OH 11) - 成城学園前駅 (OH 14)
- ■準急
- 下北沢駅 (OH 07) - 経堂駅 (OH 11) - 千歳船橋駅 (OH 12)
- ■各駅停車
- 豪徳寺駅 (OH 10) - 経堂駅 (OH 11) - 千歳船橋駅 (OH 12)
脚注
注釈
- ^ 高架化工事中には列車はホーム上に留置されていた。2015年(平成27年)4月現在新宿発経堂行は翌朝、当駅始発本厚木行、小田原方面発経堂行は翌朝、当駅始発新宿行となる。これとは別に、平日土休日午前中に当駅始発本厚木行が1本運行されている。
- ^ 2017年(平成29年)3月4日ダイヤ改正現在、平日は本厚木始発9:12、向ヶ丘遊園始発20:41、土休日は向ヶ丘遊園始発10:16、新松田始発22:11のそれぞれ計2本。
- ^ 1945年度は資料なし
出典
- 小田急電鉄の1日平均利用客数
- 東京都統計年鑑
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、 経堂駅に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
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