糠塚(ぬかづか)は、青森県八戸市の町名・地名の一つである。25の小字がある[3]。当地域の人口は3,786人である。
概要
糠塚は八戸市中央部から南寄りの馬淵川の右岸と新井田川左岸の中筋に位置する。北に長者、東に吹上、中居林、南に是川、西に沢里に隣接する。鉄道の駅は無い。幹線道路は、地内西外縁に国道340号が通る。地内は北側は宅地が多いが、南側は山林が広がっている。地内の字南糠塚や字板橋からは縄文時代後期の土器や石器が発見されている。
地名の由来
糠塚の地名の由来は糠と長者山に関係する。民俗学者柳田國男の自書によると、「大昔に長者が住み、地中より糠が出たという糠前伝説」[4] の記述が残る。一方、1790年(寛政2年)の高山彦九郎の「北行日記」にも「城下を南に出て右の方長者山松茂る。上古長者が住みし所と伝えふ、今に地中より籾(もみ)ぬか出るといふ」とある。
このことから、大昔から長者山の上には大金持ち(長者)が住んでおり、その地面からは精米した後の籾と糠が出てきたことによる伝説から「糠塚」の地名が残ったと考えられる。
歴史
糠塚村
- 江戸期 - 1889年(明治22年)三戸郡糠塚村
- 1665年以前まで 盛岡藩領 三戸郡糠塚村。
- 1618年(元和4年)の記録[5]によると、1697年の「元禄10年高帳」は、八戸通村の枝村糠塚の名前で206石余り(田51石余り、畑154石余)、「旧高旧領」の記録では糠塚村の名前で192石余の記述が残る。当時、北には八戸城下があり、地内西には登り街道(現在の国道340号)が南北に通っていた。また、地内の北側に位置する長者山は、八戸城下の南方の防衛拠点として役割を備えていたと考えられる[6]。
- 1665年(寛文5年)、八戸藩領、八戸廻りに属する。
- 1665年(寛文5年)、長者林=長者山の記録が残る。
- 1668年(寛文8年)、板橋山(現在の大字糠塚字板橋)の山守(森の管理者)が木を切りすぎて処分を受ける。
- 1679年(延宝7年)、長者山内でのキジ狩りが禁止される。
- 1708年(宝永5年)、糠塚と板橋山で松虫が大量に発生し、虫祭りが開かれる。
- 登り街道は大名行列が通る重要な路線であったため、1744年から沿道の街道植樹を行った。
- 1744年(延享元年)、1000本の漆の木が植えられる。(枡形から一ノ坂の区間:現在の平中交差点付近)
- 1751年(宝暦元年)、4月に100本の漆の木が植えられる。
- 1753年(宝暦3年)、4月に大杉平(現在の大字糠塚字大杉平)と、根城通りに1864本の漆の木が植えられる。
- 1754年(宝暦4年)、4月に大杉平で1770本の漆の木が植えられる。[7]
- 1756年(宝暦6年)、病気や飢えなどで路上に倒れている人が34人発生した。[8]
- 1836年(天保7年)、大慈寺の住職が、藩から飢民の救護を命ぜられ、寺の裏門に作った救助小屋に収容する。[9]
- 1871年(明治4年)、家数は本村106、板橋18、平中8、鍛冶丁6、下屋敷5。[10]
- 1877年(明治10年)、八戸区裁判所、八戸区検事局が、地内、常泉下に設置される。
- 1879年(明治12年)、本村の戸数91・人口591(男292・女299)、寺院5、学校1、牛7、馬85。板橋の戸数18・人口133(男66・女67)、牛3、馬28、物産は麦、雑穀、麻糸、鳥類。[11]
長者村時代
八戸町時代
八戸市時代
世帯数と人口
2017年(平成29年)4月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小字 |
世帯数 |
人口
|
板橋 |
52世帯 |
121人
|
鶉久保 |
78世帯 |
164人
|
大沢 |
33世帯 |
66人
|
大杉平 |
149世帯 |
303人
|
大開 |
126世帯 |
260人
|
蟹沢 |
221世帯 |
460人
|
狐森 |
76世帯 |
164人
|
小沢 |
2世帯 |
4人
|
五郎兵衛前 |
108世帯 |
259人
|
下道 |
18世帯 |
37人
|
下屋敷 |
39世帯 |
68人
|
惣善前 |
6世帯 |
14人
|
平中 |
162世帯 |
332人
|
長者山 |
3世帯 |
9人
|
長者山下 |
14世帯 |
22人
|
土取場 |
40世帯 |
77人
|
長久保 |
175世帯 |
367人
|
二ツ家 |
25世帯 |
53人
|
古常泉下 |
43世帯 |
88人
|
前谷地 |
111世帯 |
265人
|
桝形 |
2世帯 |
7人
|
南長市 |
140世帯 |
266人
|
柳ノ下 |
73世帯 |
168人
|
山内 |
3世帯 |
4人
|
葭谷地 |
14世帯 |
29人
|
計 |
1,713世帯 |
3,607人
|
施設
教育
小字
字板橋、字鶉久保、字大沢、字大杉平、字大開、字蟹沢、字狐森、字小沢、字五郎兵衛前、字下道、下屋敷、字惣善前、字平中、字長者山、字長者山下、字土取場、字長久保、字二ツ家、字古常泉下、字前谷地、字桝形、字南長市、字柳ノ下、字山内、字葭谷地
脚注
- ^ a b 八戸市 (2017年4月30日). “八戸市人口データ(平成29年度)”. 八戸市. 2017年6月1日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ “八戸市の地名(大字・字のつく住所)”. 八戸市 (2021年2月3日). 2024年8月26日閲覧。
- ^ 柳田国男『糠前伝説』 角川日本地名大辞典編纂委員会 (1985)「角川日本地名大辞典 青森県」角川書店 pp716
- ^ 南部利直知行宛行目録(南部家文書)
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 (1985)「角川日本地名大辞典 青森県」角川書店 pp716
- ^ 「八戸藩日記」
- ^ 「八戸藩史料」
- ^ 「八戸藩勘定所日記」
- ^ 「国誌」
- ^ 「共武政表」
- ^ 「徴発物件一覧」
- ^ a b “住居表示について”. 八戸市. 2024年10月3日閲覧。
- ^ “町の新設”. 八戸市例規集. 八戸市. 2024年10月3日閲覧。
- ^ “町の新設”. 八戸市例規集. 八戸市. 2024年10月3日閲覧。