精神保健の歴史 (せいしんほけんのれきし、英語 : History of Mental health )では、精神保健 、精神医学 、精神障害 の歴史について記述する。
世界の歴史
16世紀、宗教改革
パリ13区、サルペトリエール病院
1656年、フランスのルイ14世 の指導により精神障害者、犯罪者、浮浪者を収容する総合施療院、ビセートル病院 (L'hôpital de Bicêtre 、男性)、サルペトリエール病院 (Hôpital de la Salpêtrière 、女性)が建設される[ 1] 。働かない権利 の項も参照
1714年、イギリスにて浮浪者取締法 が制定される。浮浪者の中の精神障害者の保護について規定[ 2]
1774年、イギリスにてマッドハウス(madhouse [ 3] )を規制するマッドハウス法 を制定する[ 4] 。
イタリアのレオポルド大公が精神障害者の人道的ケアを謳った精神衛生法を施行。
1789年〜、フランス革命
1785年、イタリアでは近代的精神医療をめざした聖ボニファチェ病院(Bonifazio)が開設され、院長のヴィンチェンツォ・キアルージ(Vincenzo Chiarugi)が精神障害者に対する開放的処遇を発表。病歴記載方法、高度の衛生管理、レクリエーション施設、作業療法、拘束の制限など、人権思想に関する当時としては極めて先進的な手法を提示した。[ 5]
1793年、フランスのフィリップ・ピネル (Philippe Pinel )、ジャン=バチスト・ピュッサンがビセートル病院の閉鎖病棟の患者を鎖から解放する(ル・クルムラン=ビセートル も参照 )。
1808年、イギリスにて州立アサイラム法 が成立、精神障害者の入院環境を改善する多くの規定が盛り込まれる[ 6] 。
1817年、アメリカ最初の「道徳療法」を行う精神病院が開設される。
1852年、フランスの精神科医ベネディクト・モレル (Bénédict Morel ) によって統合失調症は初めて公式に記述され、仏 Démence précoce (「早発性痴呆」)と呼ばれた。
1871年、ドイツのエヴァルト・ヘッカー (Ewald Hecker ) が「破瓜病」(Hebephrenie ) を著す。
1874年、ドイツのカール・カールバウム (Karl Ludwig Kahlbaum ) が「緊張病」(Katatonie ) を著す。
1880年、フランスの医師ジェリーノ(Jean-Baptiste-Édouard Gélineau )がナルコレプシー (narcolepsy )を名付ける。
1884年、ルドルフ・ベルリン (Rudolf Berlin )によってディスレクシア (読字障害)が報告される。
1899年、ドイツのエミール・クレペリン (Emil Kraepelin ) が独 Dementia Praecox (「早発性痴呆 」)を著し、破瓜病 、緊張病 に妄想病 を加えてまとめる。
1900年、国際統計協会 が疾病及び関連保健問題の国際統計分類 (ICD)の初版を公表。
1904年、イタリアで法36号(自傷他害・公序良俗を汚す恐れのある患者の強制入院等)が規定される。
1911年、スイスの精神科医オイゲン・ブロイラー (Eugen Bleuler )は、必ずしも若年時に発症するとは限らず、又、必ずしも痴呆に到るとは限らず、この病気の本性は観念連合 の弛緩にあるとして、独Dementia Praecox (「早発性痴呆」)を独Schizophrenie (旧称「精神分裂病」)と改名し疾患概念をかえた。
1913年、野口英世 が進行麻痺 患者の脳に梅毒 病原体を発見する。
1918年、第一次世界大戦終戦
1945年、第二次世界大戦終戦
21世紀
日本での歴史
日本の現行法「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」の対象となる知的障害 、発達障害 の主な歴史も参考程度に記述した。
江戸時代
1867年、明治維新
東京府立時代の松沢病院(1919年)
1890年、第1回帝国議会開会
1918年、第一次世界大戦終戦
1918年(大正7年)、呉秀三 ・樫田五郎 『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を出版。「わが邦十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」という有名な一節を残す。
1919年(大正8年)、精神病院法 成立・施行[ 29] 。
1929年(昭和4年)、救護法 公布(原泰一 )。
1938年(昭和13年)、新潟大学 の中田瑞穂 、ロボトミーを開始。以後1975年(昭和50年)までロボトミーを受ける者もいた。
1940年(昭和15年)、国民優生法 公布。
1945年、第二次世界大戦終戦
1987年、精神保健法施行
1987年(昭和62年)、宇都宮病院事件を受けて、精神保健法 施行。精神保健指定医 制度が発足し、任意入院 制度確立。
1989年(平成元年)、社団法人日本自閉症協会 設立[ 38] 。
「保健婦助産婦看護婦学校養成所指定規則」が改正。これまでは男性看護師 (旧称・看護士)は女性看護師(旧称・看護婦)と異なり、精神科病棟での勤務を前提とした教育体制が取られていた。改正後は男女とも同一の教育カリキュラムとなっている。
1993年(平成5年)、全国精神障害者団体連合会(全精連)結成。心身障害者対策基本法が障害者基本法 へ改正[ 29] 。
1994年(平成6年)、北陽病院事件の民事訴訟判決が確定。患者が起こした事件に対し、県・病院に総額約1億2千万円の賠償責任を認める。
1995年(平成7年)、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律 (精神保健福祉法)施行。精神障害者保健福祉手帳 制度制定。
1995年(平成7年)、茨城県 で障害者虐待 などにより強制労働 「水戸事件 」が発覚。
1996年(平成8年)、優生保護法が母体保護法 に変わり、強制断種 等に係る条文が削除される。
1997年(平成9年)、大阪市 住吉区 長居 の安田病院 系列である、大阪府柏原市 の精神科病院・大和川病院(医療法人北錦会)に人権蹂躙の疑いで、大阪府庁 が立ち入り検査。入院患者の不審死が26件明らかになり、大和川病院事件が発覚。保健機関取消、病院開設許可取消、医療法人認可取消処分となったのちに倒産 [ 40] [ 41] 。
2000年、介護保険制度施行
2006年、障害者自立支援法施行
脚注
参考文献
関連項目