第1次ウラジーミル・プーチン内閣

第1次ウラジーミル・プーチン内閣ロシア語: Первое правительство Путина)は、ボリス・エリツィンロシア連邦大統領時代、ウラジーミル・プーチンロシアの首相に任命され成立したロシア連邦内閣1999年8月16日から2000年5月7日まで続いた[1]

内閣の構成は、1999年8月17日付けロシア連邦大統領令ウカース)第1062号(「行政権の連邦機関の構成」)によって承認された[2]

第1次プーチン内閣では、1999年11月12日付けロシア連邦大統領令第1487号により、従来の国家電気通信委員会は、ロシア連邦通信情報省(コミュニケーション情報省、現在のロシア情報技術・通信省)に改組された。

閣僚

職名 氏名 就任日 退任日 備考
首相
ウラジーミル・プーチン 1999年8月16日 2000年5月7日 1999年12月31日から大統領代行。
ミハイル・カシヤノフ 2000年5月7日 2000年5月17日 首相代行。
第一副首相
ニコライ・アクショーネンコ 1999年8月19日 2000年1月10日
第一副首相
ヴィクトル・フリステンコ 1999年8月19日 2000年1月10日
第一副首相
ミハイル・カシヤノフ 2000年1月10日 2000年5月7日
副首相
イリヤ・クレバノフ 1999年8月16日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任。軍産複合体担当。1999年9月6日から外国軍事技術協力大統領委員会副議長を兼務。
副首相
ワレンチナ・マトヴィエンコ 1999年8月16日 2000年5月7日 社会政策担当。
副首相
ウラジーミル・シチェルバク 1999年8月19日 2000年6月28日
副首相・チェチェン共和国ロシア連邦政府全権代表
ニコライ・コシュマン 1999年10月15日 2000年6月28日
副首相
セルゲイ・ショイグ 2000年1月10日 2000年5月7日
副首相
ヴィクトル・フリステンコ 2000年1月10日 2000年5月7日
原子力相
エフゲニー・アダモフ 1999年8月9日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任。
内相
ウラジーミル・ルシャイロ 1999年8月16日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任。
国家資産相
ファリット・ガジズーリン 1999年8月16日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任。
非常事態相
セルゲイ・ショイグ 1999年8月16日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任。
反独占政策・企業家精神支援相
イリヤ・ユジャノフ 1999年8月16日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任。
CIS担当相
レオニード・ドラチェフスキー 1999年8月16日[3] 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任(1999年5月31日から)。
放送・報道・マスコミュニケーション相
ミハイル・レシン 1999年8月16日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任(1999年5月31日から)。
税金・関税相
アレクサンドル・ポチノーク 1999年8月16日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任。
保健相
ユーリ・シェフチェンコ 1999年8月16日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任。
外相
イーゴリ・イワノフ 1999年8月16日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任。
文化相
ウラジーミル・エゴロフ 1999年8月19日 2000年2月8日 ステパーシン内閣からの留任。
ミハイル・シュヴィドコイ 2000年2月8日 2000年5月17日
体育文化・スポーツ・観光相
ボリス・イワンユジェンコフ 1999年8月19日 2000年6月28日 ステパーシン内閣からの留任。
科学技術相
ミハイル・キルピチニコフ 1999年8月19日 2000年6月28日 ステパーシン内閣からの留任。
国防相
イーゴリ・セルゲーエフ 1999年8月16日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任。
教育相
ウラジーミル・フィリッポフ 1999年8月16日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任。
連邦・国籍相
ヴャチェスラフ・ミハイロフ 1999年8月19日 2000年1月6日 ステパーシン内閣からの留任。
アレクサンドル・ブローヒン 2000年1月6日 2000年5月17日
天然資源相
ボリス・ヤツケヴィチ 1999年8月16日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任。
鉄道郵政相
ウラジーミル・スタロステンコ 1999年8月19日 1999年9月16日
ニコライ・アクショーネンコ 1999年9月16日 2000年5月7日
農業食糧相
アレクセイ・ゴルデーエフ 1999年8月16日 2000年5月7日
通信情報相
レオニード・レイマン 1999年8月16日 2000年5月7日
燃料エネルギー相
ヴィクトル・カリュージヌイ 1999年8月19日 2000年5月7日 2000年6月26日まで在職。
貿易相
ミハイル・フラトコフ 1999年8月19日 2000年5月7日 2000年6月26日まで在職。
運輸相
セルゲイ・フランク 1999年8月16日 2000年5月7日
労働・社会開発相
セルゲイ・カラシニコフ 1999年8月19日 2000年5月7日 2000年6月26日まで在職。
蔵相
ミハイル・カシヤノフ 1999年8月16日 2000年5月7日 ステパーシン内閣からの留任。
法相
ユーリ・チャイカ 1999年8月16日 2000年5月7日
経済相
アンドレイ・シャポヴァリヤンツ 1999年8月19日 2000年5月7日 2000年6月26日まで在職。
内閣官房長官兼連邦大臣(国務相)
ドミトリー・コザク 1999年8月19日 2000年5月7日 2000年6月26日まで在職。
連邦大臣(国務相)
画像外部リンク
アレクサンドル・リフシツ
アレクサンドル・リフシツ 1999年8月19日 2000年5月7日 2000年6月26日まで在職。
連邦大臣(国務相)
コンスタンチン・ルベンチェンコ 1999年8月19日 2000年5月7日 2000年6月26日まで在職。

脚注

  1. ^ (日本語) Распоряжение правительства рф от 07.05.2000 n 647-р <о правительстве российской федерации>(ロシア連邦政府令07.05.2000年5月7日付け647-p <ロシア連邦政府について>)”. 2013年12月16日閲覧。
  2. ^ 1999年から2000年までのロシア連邦の省庁の動態については、「1994年から2000年におけるロシアの連邦行政(権)機関の構成」Структура федеральных органов исполнительной власти России (1994—2000)を参照
  3. ^ Занимал эту должность ранее, вновь назначен Указом Президента Российской Федерации от 19.08.1999 № 1078 «О Министре Российской Федерации по делам Содружества Независимых Государств».