第七号掃海艇 (3代)
第七号掃海艇(だいななごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第七号型掃海艇 (3代)の1番艇。 艦歴1937年(昭和12年)10月27日、玉造船所で起工[1]。1938年(昭和13年)4月15日、掃海艇に類別[2]。同年6月16日進水。同年12月15日に竣工[3]。佐世保鎮守府籍に編入[4]。 1939年(昭和14年)、日中戦争において華南の作戦に参加[1]。 1941年(昭和16年)6月1日、第三艦隊第一根拠地隊に編入。同年12月8日、太平洋戦争に参加し、比島レガスビー攻略作戦に参加[4]。以後、メナド、ケンダリー、アンボン、マカッサル、クーパンの各攻略参戦で船団護衛に従事[4]。 1942年(昭和17年)3月10日、第一南遣艦隊第十特別根拠地隊に編入され、シンガポール方面の船団護衛を担当[4]。1943年(昭和18年)6月21日、シンガポールで入渠修理を実施[4]。その後、アンダマン方面の船団護衛に従事[4]。 1944年(昭和19年)4月15日、アンダマン諸島ポートブレア付近で沖でイギリス海軍潜水艦ストームの雷撃で撃沈された[1][4]。同年6月10日に除籍。 歴代艇長
脚注
参考文献
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