第四号掃海艇(だいよんごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第一号型掃海艇の4番艦。
艦歴
1923年(大正12年)12月1日、佐世保海軍工廠で起工[1]。1924年(大正13年)4月24日進水。1925年(大正14年)4月29日に竣工。竣工時艇名は第四掃海艇、掃海艇に類別。1924年(大正13年)4月24日、第四号掃海艇に改称[5]。
1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)まで日中戦争において華中の作戦に参加[1]。太平洋戦争では、南方侵攻作戦、船団護衛に従事[1]。
終戦時にはシンガポールに所在[1]。1946年(昭和21年)7月11日、英海軍によりシンガポール、ケッペル港南方で海没処分[1]。同年8月10日に除籍。
歴代艇長
※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艤装員長
- 遠藤昌 少佐:1924年12月1日[6] - 1925年3月25日[7]
- 艇長
- 遠藤昌 少佐:1925年3月25日[7] - 1926年12月1日[8]
- 成由茂一 大尉:1926年12月1日[8] - 1928年11月1日[9]
- 村上暢之助 大尉:1928年11月1日 - 1929年10月3日
- 吉村真武 大尉:1929年10月3日[10] - 1930年11月1日[11]
- (兼)橘雄次 大尉:1930年11月1日[11] - 1930年12月12日[12]
- 河野康 大尉:1930年12月12日 - 1931年12月1日
- 井上良雄 大尉:1931年12月1日 - 1932年12月1日
- 森圭作 大尉:1932年12月1日[13] - 1934年11月15日[14]
- 林利作 大尉:1934年11月15日[14] - 1935年11月15日[15]
- 小滝久雄 大尉:1935年11月15日 - 1936年12月1日
- 久保木英雄 少佐:1936年12月1日[16] - 1938年1月30日[17]
- (兼)岡戸靖彦 少佐:1938年1月30日[17] - 1938年2月26日[18]
- 岡戸靖彦 少佐:1938年2月26日[18] - 1938年7月28日[19]
- 富田捨造 少佐:1938年7月28日 - 1938年12月15日
- 蒲原俊郎 少佐:1938年12月15日[20] -
- 三舩俊郎 少佐:不詳 - 1940年10月5日[21]
- 座間栄敬 大尉:1940年10月5日[21] - 1940年11月1日[22]
- 石井次郎 予備大尉:1940年11月1日[22] -
- 長嶺為三郎 予備大尉:1941年9月12日[23] -
脚注
参考文献
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掃海艇 |
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掃海特務艇a |
一等掃海特務艇ab | |
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二等掃海特務艇ab | |
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第一号型 | |
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戦利掃海特務艇 |
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- a. 1923年6月30日 「掃海艇」を「掃海特務艇」に改正
- b. 1933年5月23日等級廃止
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