秋月種信
秋月 種信(あきづき たねのぶ)は、日向国高鍋藩3代藩主。第2代藩主秋月種春の長男。 生涯万治2年(1659年)、父の死去により跡を継ぐ。父の時代から起こっていた、白井種盛・種重の家老親子がもたらした問題(上方下方騒動)に決着をつけるため、専横はなはだしかった白井一派の多くを粛清した。その上で新たに身分や国にとらわれず有能な人材を登用した。他に高鍋城の整備を行い、延宝元年(1673年)に財部を高鍋と改名した。 天和3年(1683年)、五男で信州長沼藩主となっていた佐久間勝親が改易されたとき、その縁戚に当たることから種信にも2か月間の閉門処分が下された。元禄2年(1689年)2月晦日、次男の種政に家督を譲って隠居し、元禄12年(1699年)7月27日に69歳で死去した。 系譜父母 正室
側室
子女
脚注 |