神守村(かもりむら)は、かつて愛知県海部郡にあった村。
現在の津島市の東部に該当し、日光川、蟹江川に挟まれた地域である。
佐屋街道の宿場町「神守宿」を中心とした村であった。
沿革
江戸時代末期、この地域は尾張国海東郡であり、尾張藩領であった。
- 1647年(正保4年) - 佐屋街道神守宿が設置される。宿役は南神守村と北神守村の2村で担っていた。
- 1868年(明治元年) - 日光新田と日光埋田外新田が合併し、日光新田となる。
- 1878年(明治11年) -
- 南神守村と北神守村が合併し、神守村となる。
- 日光新田が分割され、下切村、中一色村[3]、宇治村、諸桑村[4] に編入される。
- 落合新田が分割され、下切村、中一色村、宇治村に編入される。
- 鬼頭新田が分割され、下切村、中一色村、宇治村に編入される。
- 1889年(明治22年)10月1日 -
- 百町村、白浜村、高台寺村が合併し、百高村となる。
- 神尾村、金柳村、莪原村、大坪村が合併し、益和村となる。
- 葉刈村、大木村、光正寺村、蛭間村、牧野村、寺野村、青塚村が合併し、野間村となる。
- 百島村、越津村、牛田村、椿市村、宇治村、下切村[5]が合併し、越治村となる。
- 1906年(明治39年)7月1日 - 神守村、百高村、益和村、越治村、野間村が合併し、神守村となる。
- 1913年(大正2年)7月1日 - 海東郡と海西郡が合併し、海部郡となり、神守村は海部郡の所属となる。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 津島市に編入される。
交通機関
学校
脚注
- ^ 愛知県総務部統計課 愛知県統計協会、1951年
- ^ 愛知県郡市町村勢要覧(愛知県総務部統計課 1951年10月刊行)
- ^ 後の神島田村 → 永和村。現・津島市
- ^ 後の諸古村 → 佐織町。現・愛西市。
- ^ 宇治村と下切村のうち、旧・日光新田の地域は津島町に編入。
関連項目