神の手 (かみのて、Hand of God)はサッカー用語 のひとつで、手を使い得点を決める、もしくは失点を阻止する行為をあらわす婉曲表現 である。
アルゼンチン代表 のディエゴ・マラドーナ が、1986年ワールドカップ・メキシコ大会 準々決勝のイングランド 戦で決めた「神の手(La Mano de Dios )」ゴールに由来する。
概要
サッカーでは自陣ペナルティエリア内にいるゴールキーパー を除けば、選手が意図的に ボールを手または腕で扱うとハンドリング (ハンド)の反則 となり、相手に直接フリーキック が与えられる(サッカー競技規則 第12条「ファウルと不正行為」[ 1] )。規定ではボールが手に当たると全てがハンドになる訳ではなく、偶然当たってしまった場合は反則にはならない。意図的か偶然かは審判が判断する。
競技者が手または腕を用いて意図的にボールに触れる行為はボールを手で扱う反則である。主審は、この反則を見極めるとき、次のことを考慮しなければならない。
ボールが手や腕の方向に動いているのではなく、手や腕がボールの方向に動く。
相手競技者とボールの距離(予期していないボール)。
手や腕の位置だけで、反則とはみなさない。
— 2015/2016 競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン[ 2]
攻撃側がハンドによりゴールを決めた(アシストした)場合、得点は無効となる。守備側がハンドにより決定的な得点機会を防ぐとレッドカードを宣告され、ペナルティエリア内であれば相手チームにペナルティキック が与えられる。
しかし競技の特性上、選手の身体に隠れて見えないなど、ハンドの瞬間を審判が見逃す事もあり、反則があったにもかかわらずプレーが成立してしまう場合がある。特にVAR導入以前は角度を変えたりスローモーションにして見直す事も不可能なため、必然的にその誤審が訂正されることは皆無だった。
このプレーで不利益を被った側のチームは必然的に不満感を持ってしまうため、試合後には審判の判定やフェアプレー精神を巡る意見がメディアを賑わし、誤審 問題やビデオ判定 導入を問う論議にもつながった。特にワールドカップ の予選や本戦など、重要な試合でそのような場面が発生すると、対戦両国の世論を巻き込む論争に発展することもある。「神の手」を使った選手に対しても賛否両論が起こり、現役中から引退後まで個人評価に影響することになる。また守備側のハンドの場合は反則を取られてもPKが与えられるだけであるため、不利益を被った側のチームがPKを失敗したことがもとで敗れた場合、サッカーのルールを問う論議につながったこともある[ 3] 。
マラドーナの「神の手」
マラドーナの「神の手」ゴール
1度目の「神の手」
両チーム無得点で迎えた後半6分、ドリブルでゴール正面に切り込んだディエゴ・マラドーナ は、ホルヘ・バルダーノ との壁パスでDFラインを抜けようとした。イングランドのスティーヴ・ホッジ がパスをカットしたが、蹴り上げたボールはペナルティエリア内にふわりと浮かんだ。落下地点にはマラドーナが走りこんでおり、GKピーター・シルトン は慌てて前方へ飛び出した。両者は空中でボールを競り、シルトンのパンチングより先にマラドーナがボールに触り、ゴールに流し込んだ。
マラドーナがヘディングを決めたように見えたが、イングランドの選手は主審にハンドをアピール。テレビ中継の再生映像には、マラドーナがジャンプしながら振り上げた左手の拳でボールをはたいている瞬間が映っていた[ 4] [ 5] 。だが、主審はマラドーナがヘディングでボールにコンタクトしたと判断し、ゴールを認めた。
マラドーナは試合後のインタビューでこのプレーについて聞かれると、「ただ神の手が触れた 」と表現した。以後、サッカー界ではこれに類するプレーが神の手(Hand of God)と呼ばれることになった。
2度目の「神の手」
1990年イタリア大会では、守備の場面で「神の手」が再現された。ソビエト連邦のコーナーキックから放たれたヘディングシュートを、ゴールポスト脇に立つマラドーナが右手で弾き落とした。今回もハンドの反則は取られず、グループリーグ敗退の危機にあるチームを救う結果となった。
「神の手」ゴールの背景
アルゼンチン・イングランド両国は過去に1966年ワールドカップ・イングランド大会 準々決勝で対戦していたが、アルゼンチンのラフプレーに怒ったイングランドが試合後のユニフォーム交換を拒否し、アルフ・ラムゼイ 監督が相手選手を「アニマル(野獣)」と中傷するという遺恨を残していた。さらに、1982年のフォークランド紛争 でアルゼンチンがイギリス に敗戦したことから、メキシコ大会の対戦にはサッカーの枠を超えた国民感情が渦巻いていた。マラドーナは「神の手」ゴールから4分後にも、センターライン付近からドリブルでイングランドの選手5人をかわす驚異的な「5人抜きゴール」 を決め、母国の国民的英雄となった。
のちに、マラドーナは自伝においてハンドだったことを認め、母国のテレビ番組では「早く来て自分を抱き締めないと、審判が得点を認めないぞ」とチームメイトに呼びかけたという裏話を明かしている[ 6] 。ドキュメンタリー映画『マラドーナ 』(2008年[ 注 1] )の中では、「マルビナス [ 注 2] で殺された若者達の敵討ちだった」「イングランド人の財布を盗み、バカにしてやった気分だ」と語っている。
2008年 にはイギリス大衆紙の取材に対し「過去に戻って歴史を変え、謝ることができるならばそうするだろう。でも、ゴールはゴールだ」とコメント[ 7] 。2010年 の雑誌インタビューでは罪の意識を否定し、「ワールドカップで勝てるなら手だって使うさ。審判が認めれば、それでゴールだ」と答えている[ 8] 。
イングランドの監督だったボビー・ロブソン は「あれは誤審以外の何ものでもない。誤審はあり得ることで仕方がない。だが私が許せないのは、それを神の手などと呼ぶ者の欺瞞だ」と語っている[ 9] 。
関連事項
マラドーナを現人神 と讃えるマラドーナ教 は、ロサリオ の「神の手教会」を中心に信仰活動を行っている。幼児洗礼 の儀式では幼児に左手でサッカーボールを叩かせ、結婚式では新郎新婦が左手をボールに乗せて婚姻の宣誓を行う。
2004年 に発売された国際サッカー連盟 (FIFA)設立100周年記念DVD『FIFA FEVER』では、「ワールドカップ10大誤審」が取り上げられ、マラドーナの「神の手」ゴールが第1位に選ばれた[ 注 3] 。「5人抜きゴール」の方は、2002年 にFIFAが実施したオンライン投票で「ワールドカップ・ゴール・オブ・センチュリー」に選出されている[ 10] 。
2018年ワールドカップ 招致に立候補したイングランドでは、2010年 にクレイアニメ の人気キャラクター「ウォレスとグルミット 」が登場するプロモーション映像が公開された。この中では、犬のグルミットが前脚でゴールを決める「犬の手(Hand of Dog)」というユーモアが披露された[ 11] 。
その他の著名なケース
フランク・オルデネビッツ(ヴェルダー・ブレーメン)
優勝をかけた試合で、ケルンの放ったシュートがフランク・オルデネビッツ の手に当たってゴールから逸れた。主審はそれに気づかなかったが、相手チームのアピールで本人に尋ねると、オルデネビッツは正直にハンドを認めた。ケルンにPKを決められブレーメンは敗れたが、チームはスポーツマンらしい行為として賞賛した[ 12] 。FIFAはこの行為に対して、1988年のFIFAフェアプレー賞 を授与した。
リオネル・メッシ(FCバルセロナ)
前半43分、クロスボールに飛び込んだリオネル・メッシ はGKイドリス・カルロス・カメニ のパンチングより先に左手でボールに触れ、マラドーナの「神の手」ゴールを再現するようなゴールを決めた[ 13] 。
「マラドーナ2世 」として期待されるメッシは、同年4月に行われたコパ・デル・レイ 準決勝ヘタフェCF 戦で「5人抜きゴール」を彷彿させるドリブルゴールも決めていた。前年のワールドカップ・ドイツ大会 に出場した際には、スパイクのかかとに「La Mano de Dios 86(神の手 1986年)」と刺繍を入れていた。
ティエリ・アンリ(フランス代表)
延長前半13分、フランスがアイルランドゴール前に放り込んだフリーキックがバウンドし、ゴールポストの傍にいたティエリ・アンリ の左手に当たった。アンリはプレーを続行し、右足でセンタリングしてウィリアム・ギャラス の同点ゴールをアシスト。アイルランドの抗議も実らず、通算ゴール数で勝ち越したフランスは本大会進出を決めた。試合後、アンリは手に当たったことを認めたが、主審が笛を吹かなかったのでプレーを続けたと話した[ 14] 。
このプレーは社会的にも大きな話題となり、フランスのニコラ・サルコジ 大統領はアイルランドのブライアン・カウエン 首相に謝罪の意を伝え、フランス教職員組合は疑念を表明した。国内メディアは「神の手(Main de Dieu)」に救われたフランス代表を酷評し、批判を浴びたアンリは代表引退も考えたと告白した[ 14] 。アイルランドサッカー協会はFIFAに再試合を要求し、のちには33チーム目の特別枠を申請したが、いずれも却下された[ 15] 。
ルイス・ファビアーノ(ブラジル代表)
後半5分、ルイス・ファビアーノ はゴール前でDFと競り合いながら浮き球を2度上腕でトラップし、豪快なシュートを決めた。試合後には笑いながら「わたしの聖なる手が助けてくれたゴール」と発言した[ 16] 。
記者会見でこの件について聞かれたマラドーナ(アルゼンチン代表監督)は、「あれは『彼の手』だったな。それも2回だ」と発言[ 17] 。ブラジルのカカー は「ファビアーノのゴールについて、マラドーナのような人が話すのは面白いね。彼はハンドのゴールに詳しい人だからだ」と皮肉を述べた[ 18] 。
ルイス・スアレス(ウルグアイ代表)
同点で迎えた延長後半終了間際、ゴール前の混戦において、ガーナのヘディングシュートをゴールライン上にいたルイス・スアレス がバレーボール のブロック のように両手で弾き返した。スアレスは一発退場となったが、ガーナのアサモア・ギャン がPKを失敗[ 注 4] 。その後、ウルグアイはPK戦で勝利し、ベスト4に進出した。
スアレスはユニフォームで顔を覆いながら退場したが、PK失敗の瞬間には一転して大喜びする姿がカメラに捉えられた。試合後には「僕にとっては、このW杯で最大のセービングだったと言える」とコメントした[ 19] (注:スアレスはFWの選手)。母国のメディアには「歴史に名を刻んだ」と称賛されたが[ 20] 、1試合出場停止後の3位決定戦では、プレーのたびにスタンドからブーイング を浴びせられた。本件は他の件と違い誤審は無く、ハンドをした選手は反則と退場と言う正当な裁定を受けているが、その行為が結果的にチームをW杯ベスト4に勝ち上がらせる事となるため、有名な事例となっている[ 注 5] 。
日本人選手のケース
加藤善之(ヴェルディ川崎)
エドゥー の直接フリーキックを、ゴール前の壁に入っていた加藤善之 が両手を体の横に上げてブロックした。エドゥーらフリューゲルスの選手たちは猛抗議を行ったが、レッドカードやイエローカードはおろかハンドの反則すらも取られず、結果は川崎が2対1で勝利。
中西永輔(ジェフ市原)
ロングパスを受けた中西永輔 はボールを右手で軽く押し出し、ラモス瑠偉 をかわしてVゴール をアシストした[ 21] 。試合後、中西がハンドを認める趣旨の発言をしたことが問題視され、ジェフはJリーグ規律委員会の勧告により1試合出場停止と罰金処分を課した。
福西崇史(ジュビロ磐田)
後半終了間際、ジュビロのフリーキックが福西崇史 の右手に当たってゴールに入り、決勝点となった。福西はマリノスの中澤佑二 と空中で競り合いながらバランスを崩しており、意図的に手を使ったとは判断されなかった。岡田正義 主審の判断が論争となったが、Jリーグ 審判委員会は正当なゴールとして判定を支持した[ 22] 。
中田浩二(日本代表)
後半20分、コーナーキックがファーサイドに流れ、中田浩二 の手と腰に当たってゴールに入った。これが得点と認められ、日本のアジアカップ連覇を決める決勝点となった。中国のアリー・ハーン 監督は表彰式で銀メダルの受け取りを拒否し、記者会見では「日本の2点目はハンドボール だった」と判定に不満を述べた[ 23] 。
渡部博文(ヴィッセル神戸)
アダイウトン のループシュートを渡部博文 が右手で払い退けるようにブロックした。ジュビロの選手が猛抗議するもハンドとは認められず、コーナーキックで試合再開[ 24] 。ドイツ紙デア・ヴェステンは「マラドーナ以来、最も大胆なハンドボール」と報じた[ 25] 。
注釈
^ 発言は2005年の撮影時のもの。
^ アルゼンチンでは英国名のフォークランド諸島ではなくスペイン語名のマルビナス諸島と呼んでいる。
^ ただし、DVDのライセンス契約会社が制作したもので、FIFAが選定したわけではない。
^ ガーナはグループD オーストラリア 戦でもハリー・キューウェル にシュートを手でブロックされたが、この時はギャンがPKを決めていた。
^ 14年後のカタールW杯 で両者は再会し、スアレスハンドの因縁か、ガーナはウルグアイに負けているにもかかわらず時間稼ぎを選択。グループステージ敗退となる自分たちの道連れにする形で試合終了の瞬間を待った。(記事 )
出典
関連項目